鈴木武蔵がベルギーデビュー 実母が語る“イジメられた少年時代”と“遅咲きサッカー道”

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お金で苦労をかけたくないから、とプロ入り

 ただ、プロ入り前には、大学進学との間で思い悩んだ時期もあったという。

「早稲田(大学)の人間科学部への進学も考えて、所沢まで面接を受けに行ったりもしたんです。けど武蔵は、“やっぱりプロになる”って。私は大学の学費くらいなんとかするって言ったんですが、お金で苦労をかけたくないって思ったみたいなんです」

 そうしてスタートしたプロ生活だったが、決して順風満帆ではなかった。

「アルビ時代には、『水戸ホーリーホック』『松本山雅FC』と2度レンタルに出されたんですが、水戸では怪我に泣き、松本では監督にあまり使ってもらえなかった。芽が出だしたのは、18年に『V・ファーレン長崎』に移ってからのこと。日本代表のFWだった高木琢也監督の指導で、ようやく結果が出せるようになったのです。長崎で初めて2桁得点を挙げられた。そして昨年、札幌に移籍し、日本代表にも呼んでもらえるようになったんです」

札幌でチームメイトと始めた“一人親支援”

 札幌でもチームトップの13得点をあげる活躍をみせ、今回のベルギー移籍へと繋がった。もっとも真理子さんが感じる息子の成長は、サッカーの成績ばかりではないという。

「最近、ボランティアも始めましてね。『Hokkaido Dream』という団体をチームメイトらと立ち上げて、一人親家庭や児童擁護施設の子どもたち招待したサッカー教室を札幌で開催しているんです。児童擁護施設に弁当を差し入れるフードレスキュー活動も。母子家庭で苦労させましたが、そんな経験を生かして社会貢献してくれている姿は誇りです」

 真理子さんにとっての最大の親孝行は、この調子で鈴木が世界を舞台に活躍し続けることだという。

「私は旅人ですから。武蔵のおかげで、これまで行ったことのない国を回って来られました。リオ、マレーシア、メキシコ、カタール……。その中には、一人なら決して行こうとはしない国も含まれています。でも、武蔵が試合しに行くなら応援に行ってみようって思うじゃないですか。で、いざ行ってみると、初めて触れる文化に先入観が打ち砕かれたりする経験が面白くて。ベルギーにも行ったことがないんで楽しみです」

 はたして、2年後にワールドカップが開かれるカタールへ、鈴木は再び母親を連れていけるのか。新天地ベルギーでの活躍に期待したい。

週刊新潮WEB取材班

2020年9月1日掲載

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