もともと反韓・嫌韓ではなかった「安倍首相」を変えた“事件”とは?
相対した盧武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅のうち、朴大統領の欠礼がきっかけで
韓国内でも安倍晋三首相の辞任表明は大きなニュースになった。そして多くの人は辞任を歓迎している。新しい首相が選出されれば、日韓関係が今よりは良くなるという漠然とした期待からだ。しかし、日韓関係史を専門とする評論家の李東原氏は、「これは、今の日韓関係の破綻の原因を安倍氏個人に転嫁する卑怯な発想。後任が誰になろうと、韓国の姿勢が変化しない限り、悪化した日韓関係が良くなることはない」と断じる。そして、安倍首相を変えることになった“事件”についても触れるのだった。
そもそも、韓国の一般国民は、もともと日本の政治なんかにあまり関心がない。
誰が首相になるか、どのような政策を取るかなど、日本の情勢に関心があるのは日本を研究する一握りの専門家たちだ。
しかし、安倍首相の場合は、少し例外だった。
安倍首相は、2006年からと2012年からの政権運営期間を合わせて最長在職の記録を立て、内政と外交において比較的成功したという評価を受けている。
安倍首相の在任期間中、韓国では盧武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅の4人の大統領が登場し、また消えていった。
例えば李明博元大統領の対日本外交の基底にあったのは、「過去史に縛られない、未来に進もう」で、日本との友好的関係を追求し協力しようという姿勢だ。
それは、日米韓の同盟体制を強化するため、日韓軍事情報包括保護協定の締結を推進したことから明らかだった。
しかし、韓国の1945年の解放後の政治史においては、大統領と与党が国内政治で守勢に追い込まれた時は、保守と進歩を問わず、国民の反日感情を利用した対日強硬外交で、これを突破することが多かった。
「竹島強占」、「天皇謝罪発言」後、日本はすべての対話チャンネルを閉じた
大統領の実兄の李相得(イ・サンドク)元議員が、元駐韓米大使であるアレクサンダー・バーシュボウに、「李明博大統領は、骨の髄まで親米・親日主義者だ」と言っていたのに、結果として李明博も、反日感情を政治に利用した。
政権末期、収賄罪でその李相得が拘束され、側近である元放送通信委員会委員長の拘束、そして私邸建設不正などで政治的危機に追い込まれた李明博は、次期大統領選挙を控え、劣勢を挽回しようと、2012年8月10日、竹島を訪問した。
元と現職を問わず、大統領が竹島を訪問したのはこれが初めてだった。
訪問後も、「天皇謝罪」発言や光復節の祝辞などで、慰安婦問題に言及するなど、日本に対する強硬な姿勢を見せたことで、底まで落ちた支持率を引き上げようと努力した。
これは「親日政権」と批判された、政権初期とはかなり対照的なものだ。
これに対して日本は、同年8月17日の閣議で正式に、国際司法裁判所へ韓国の「竹島強占」に対する提訴の方針を確定し、これを韓国政府に通報した。
当時の野田佳彦首相による遺憾の意の表明、駐韓日本大使の一時召還令が続いたものの、韓国政府は従来と同じく「無対応」で一貫した。
その後、日本はすべての協議日程を延期または取り消し、事実上すべての対話チャンネルを閉じてしまった。
戦争中にも国家間の外交チャンネルは開いておいた、ということを考えると、かなり厳しい反応であることが分かる。
当然、韓国に対する日本人の一般世論も否定的になった。増加傾向にあった日本人観光客は「竹島挑発事件」の後、激減。
観光だけでなく、韓国製品に対する不買運動も大々的に拡散していった。また、NHK、TBS、フジテレビなど大多数の日本放送局で、韓国ドラマの放送を自粛。
韓流熱風などで好意的だった日本人の韓国に対する世論が、この時から激変した。
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