不敬罪でも「王室批判」噴出で揺らぎ始めたタイ「プラユット政権」の明日

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 7月末から8月半ばにかけ、タイ王室では慶事が続いた。

 7月28日はマハー・ワチュラロンコン10世王の68回目の、8月12日は現国王の母親であるシリキット王妃の88回目の誕生日である。2つの王室慶事を挟んで、タイ全土ではプラユット・チャンオチャ首相が文武百官に民間有力者を従え、さながら中世王朝絵巻のような煌びやかな祝賀行事を繰り広げた。

 だが、その華やぎとは裏腹に、国内には不穏な空気が流れる。

 連立与党内の不協和音による有力閣僚辞任がもたらした政権基盤の動揺、長期にわたって活動が見られなかった南タイの回教ゲリラの活動再開もさることながら、やはり最大の衝撃は、王国であるタイにあってはならないはずの王室批判が公然と、しかも若者を中心に広範に聞かれるようになったことだ。

王室批判に現れる制度疲労

 タイは刑法112条で、

「何人であれ国王、王妃、皇太子、摂政王を誹謗、侮辱、脅迫した場合、最高禁錮15年の刑に処す」

 と不敬罪を定めているが、大学生だけではなく専門学校生から高校生までを含む若者が、「最高禁錮15年の刑」を承知のうえで、敢えて王室批判の声を上げている。

 コロナ禍が引き起こした将来への不安、実質的には軍政の延長のようなプラユット長期政権への不満、国会解散・総選挙実施要求などが一連の王室批判・民主化要求の背景にあると、我が国のメディアは現地から伝える。

 だが、1973年の「学生革命」から現在まで――この間、王室は国政の動向を左右するバランサーとしての立場を担ってきた――を振り返って見ると、現に伝えられているような社会の表層の短期的な要因ではなく、タイ社会の本質に深く関わる背景を指摘せざるを得ない。

 結論を急ぐなら、やはりタイ王国の根本的統治原理として歴代憲法が斉しく掲げてきた「国王を元首とする民主主義制度」に、制度疲労が見え始めた。それが現在の王室批判に突出的に現れている。

 これまでのタイの国是でもあった「国王を元首とする民主主義制度」に対する信頼感の揺らぎが、将来への漠然たる不安、社会格差に対する不満を生み、社会の変化を求める若者を王室批判に向かわせている。

 SNSに代表される新しい情報環境こそ、「Z世代(Generation Z)」と呼ばれる彼らを産み出す苗床に違いない。

国内的安定に寄与してきた前国王

 王国としてのタイは1932年の立憲革命以来、基本的には「国王を元首とする民主主義制度」を布いてきた。

 一般に「タイ式民主主義」と呼ばれる統治路線を忠実に踏みながら国内的安定に寄与してきたのが、「英明の誉」が高く全国民の敬愛を集めていたプミポン・アドゥンヤデート前国王ではなかったか。

 収拾困難に近いほどの混乱局面であれ、前国王が示す存在感が国内混乱を「回帰不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)」の一歩手前の段階で押し止め、国民的融和に引き戻したのである。それがクーデターを繰り返しながらもタイ社会が安定を保ってきた最大の要因だった。

 その典型が、1992年5月のバンコクで国軍精鋭治安部隊と民主派の間で流血の惨事に至った「5月事件」だろう。

 国王が双方の指導者を招き膝下に跪かせ、テレビを通じて和解と融和を教え諭すことで、混乱は一気に収拾に向かった。憲法の規定もさることながら、「国王を元首とする民主主義制度」は前国王の抑制の利いた振る舞いによって守られたとも言える。

 もちろん国軍という最強・最大の“官僚組織”が、それを支えていたわけだが……。

一種の“政治的芸術作品”

 ここで考えるべきが「国王を元首とする民主主義制度」の内実だろう。

 タイの歴代憲法が記すところを見れば、その存在・権能は、我が国の明治憲法が示した天皇のそれに近い。権威・権力・資力はもちろん、国軍に対する統帥権を持つ。その存在は、クーデターの当否・成否をも左右する。

 1980年代以降だけでも、タイでは少なからざる数のクーデターが発動されているが、その成否を左右したのは国王(王室)の立ち位置だった。国王は現実を超越した存在ではなく、クーデターという生々しい権力闘争の狭間に立ってきた。

 このような多面的な権能を秘めた「国王」が、「民主主義」と互いに矛盾することなく併存するものだろうか。

 おそらく、「国王を元首とする民主主義制度」という関係が成り立つ大前提としては、双方が互いに相手に対し“抑制を利かせた振る舞い”を執る必要があるはずだ。「君臨すれども統治せず」であり、「国民統合の象徴」であることが、その関係を成り立たせる根本条件だろう。

 タイにおいて誰もが疑うことのなかった「国王を元首とする民主主義制度」は、時に憲法を超越するとも言える国王という存在と、憲政に基づく民主主義――言わば人治と法治――を見事に融和させた、一種の“政治的芸術作品”と言い換えることができるかもしれない。

 だが、このシステムは純然たる芸術作品ではない。レッキとした国家統治の仕組みであればこそ、これを支える現実的基盤が大前提として必要だ。

 それが「王室(A)・官僚(B)・財閥(C)・国軍(M)」で構成された「ABCM複合体」であり、既得権益層としての彼らが、タイ社会を一貫して差配してきたのである。「国王を元首とする民主主義制度」と「ABCM複合体」の関係は一体不離であるはずだ。

漂流の危機に晒される「ABCM複合体」

 この構造に最初に地殻変動をもたらしたのが、1980年代半ばから90年代初頭にかけて起こった経済成長だった。

 この時の変動を誘発したのが日本のバブル経済による「円」の集中豪雨的な投資であったことを、日本人としては記憶に留めておくべきだろう。経済進出は、結果としてその国の社会構造・権力システムを変動させ、既存体制を揺さぶり社会的混乱を引き起こすからである。

 経済成長の過程で力を持った新興企業家たち――その典型がタクシン・シナワット元首相である――の影響力拡大に危機感を抱いた「ABCM複合体」は、1991年2月にクーデターを発動し、新興勢力潰しにかかる。

 その結果、「ABCM複合体」が再強化される一方、経済発展の中から新しい意識・価値観が芽生えたことで、政治的混乱が解消には向かわず対立が現在まで延々と繰り返されているのである。

 その「ABCM複合体」を中心的に支えてきたのが、前国王であり、プレム・ティンスラーノン前枢密院議長だった。

 しかし、2人とも既に鬼籍に入った。

 言わば“偉大な碇”を失ったからこそ、「ABCM複合体」という巨大な船体は漂流の危機に晒されている。

 今タイは、社会の平衡を保ってきた“支点”を喪失したという現実に直面しているのである。

 極論するなら、今回の王室批判は、当局の対応の如何によっては、「ABCM複合体」の死命を制するレベルまで突き進む可能性を秘めているようにも思える。

香港化を断固として回避せよ

 8月21日の国防委員会において、国防大臣を兼務するプラユット首相は、

「家庭内の世代間の政治的対立が顕在化し、良好なタイ社会が破壊されることを警戒する」

 と発言した。

 一方、「ABCM複合体」の“門番”とも言える国軍は、王室批判の先頭に立つ指導者を過度に刺激することを極力避け、昨年6月来混乱を繰り返す「香港の轍」を踏まぬ方向を打ち出す。

 おそらく混乱の香港化を断固として回避せよという方針が、教育省による学生の構内集会認可の緊急指令や、王室批判の指導者の保釈に繋がったのだろう。

 とは言え、プラユット政権に見え始めた政権基盤の動揺も重なり、王室批判の動きがこのまま終息に向かう可能性は低いと見るべきだ。

 かりに王室批判の過激化によって社会の混乱が憂慮されるような事態が想定された場合、「国王の軍隊」による強硬措置の可能性も想定おくべし、との声も現地からは聞こえてくる。

 従来、タイの政治過程は、

「クーデター⇒憲法・国会停止⇒暫定政権成立⇒新憲法制定⇒総選挙⇒民政移管⇒国軍中心の文民連立政権⇒政局安定期⇒混乱⇒クーデター」

 という政治過程を、ほぼ例外なく経てきた。

 2014年のインラック・シナワット政権打倒クーデターで国政の全権を掌握したプラユット首相もこの“形式”を踏み、昨年3月の総選挙を経た7月、「国民国家の力党」(116議席)を基盤に弱小政党を含む19政党の連立体制で発足した。

 その後、補選の勝利、解党処分によって行き場を失った「新未来党」所属議員の吸収、野党議員の引き抜きなどの結果、与野党差を確実に広げ、安定的議会運営が可能となった。

 だが、そのことが逆に党の混乱を誘発するという皮肉な結果を招くことになる。

「先生、なぜ私を捨てるのか」

 7月9日、国民国家の力党の創立メンバーで党中核のウッタマ・サワナヨーン前党首(財務大臣)、スウィット・メーシンシー副党首(大学教育・研究・科学・イノベーション担当大臣)、ソンティラット・ソンティチラウォン前幹事長(エネルギー大臣)らが、

「党内での任務は終わった。引き続き閣内に留まるが、以後はプラユット首相の判断に委ねる」

 と発言し、突如、離党してしまった。

 彼らはテクノクラート出身で、閣僚としてプラユット暫定政権を支えた後、昨年3月の総選挙を前にして閣僚を辞任し、民政移管後のプラユット政権継続を掲げ、国民国家の力党の結党に動いた。いわばプラユット政権誕生の“功臣”である。

 実は彼らは、経済政策全般を担当するソムキット・チャトゥシーピタック副首相の下で、暫定政権時代から「EEC(東部経済回廊)」建設など、タイ版の国土強靭化計画を強力に推進してきた。ソムキット副首相は同計画の将来に従来から抱いてきたタイの地域大国化、言わばシンガポールを凌ぐASEANの指導国家への道を描いていたに違いない。

 それゆえソムキット副首相からは離党の撤回を強く説得されたが、敢えて離党に踏み切ったと報じられる。やはり党内の軋轢は想像以上に強かったことだろう。

 本来ならプラユット首相が党内を押さえるべきを、新たな党首としてプラウィット・ウォンスワン副首相(国家安全保障担当)を担いだ勢力に押し切られた可能性が大だ。

 実はプラウィット副首相は陸軍士官学校(69年卒)ではプラユット首相(同76年卒)の大先輩で、王室侍従武官、第一軍管区司令官を経て陸軍司令官(2004年~05年)を務めるなど赫々たる軍歴を誇る。プラユット首相にとっては、国軍内の後見役であると同時に、政権の死命を制する立場にある。

 7月16日、67歳の誕生日を迎えたソムキット副首相はプラユット首相に突如として辞表を提出し、閣外に去った。辞任の弁として、

「個人的な事情だ。これまでも首相に伝えてあるが、体調を考え、家庭に戻り暫しの休養をとりたい」

 とするが、ウッタマ前財務相ら有力メンバーを失った以上、経済政策の続行は困難と悟ったに違いない。

 副首相からの辞任を告げられた際、プラユット首相が、

「アチャーン(先生)、なぜ私を捨てるのか。これからも支えてほしい」

 と懇願したと伝えられるが、ソムキット副首相を欠いたままでは、これまでと同じように内外に強力にアピールしつつ進めるような大胆な経済建設は容易ではないはずだ。

 少なくともEEC計画の前途に陰りが見え始めたことは否定しようがない。

「10月1日」発足の国軍新体制次第で

 8月12日、国王の裁可を受け改造人事が実行された。

 プラユット首相はドン・プラマットウィナイ外務大臣を経済チームのトップに据えるとしたが、EU(欧州連合)、中国、国連代表部、アメリカなどの大使を歴任したキャリア外交官出身であればこそ、前任者のソムキット以上の交渉力・突破力・発信力を求めることは無理だろう。

 実は連立政権が常態化しているタイでは、政権発足から一定期間を過ぎると、閣内と連立与党内で経済担当ポスト――財務、工業、エネルギー、商業、農業・協同組合など――をめぐって内紛が発生することが絶えなかった。有態に言えば、経済利権を巡る争いだ。これに国軍内の派閥対立が加わって政権基盤動揺という事態に向かう。

 そこで首相が国軍(少なくとも国軍内最大集団である陸軍)を背景にして閣内を押さえている限り、閣内の不平不満は表面化しない。

 ということは、国国家の力党における内紛から始まった政権の不協和音は、プラユット首相の影響力低下の予兆でもあるだろう。

 10月1日、国軍の新体制が発足する。

 人事権を持つ国防大臣を兼務するプラユット首相の人事構想と、現在の国軍が目指す新体制は、必ずしも一致してはいないとも伝わってくる。であればこそ、程なく明らかになる新人事は、プラユット政権を占う重要なカギとなるはずだ。王室批判と国軍の後ろ盾による連立政権、それにコロナ禍――新旧の不安要因を抱えるなかで、プラユット政権の前途は多難である。

タイ社会が迎えた変容の時

 これまでも不敬罪は見られたが、飽くまでも一過性の個人的犯罪のレベルに止まるものだった。だが今回の王室批判は「Z世代」を軸とする広範な若者社会を巻き込んでいる。それだけに、2010年代半ばから10年ほど続いた「黄シャツ」対「赤シャツ」の対立抗争が巻き起こした以上の混乱と衝撃を、タイ社会に与える可能性は大だ。

 それというのも、「黄シャツ」対「赤シャツ」の抗争が主として大人社会を舞台とした政権を巡る権力闘争の色合いを濃くしていたのに対し、今回の王室批判が将来のタイを担う若者を中心に起きているからである。

 プラユット政権がフェイスブックなど「Z世代」の情報拡散ツールの規制に乗り出すのも、従来型の力による目に見える形での規制が有効性を失いつつあるからだ。タイ社会は変容の時を迎えたのかもしれない。

 目を外交面に転ずると、中国の進出が進む一方、アメリカからの軍関係者の往来も報じられる頻度が高まった。

 王国としてのタイがこれまでと同じように独自性を発揮し、東南アジア大陸部の中核国家として振る舞い続けることが出来るのか。いよいよ正念場を迎えつつあることを、日本としても真正面から見据える時期に立ち至ったと言っておきたい。

樋泉克夫
愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。

Foresight 2020年8月27日掲載

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