「ペドロ&カプリ」伝説のボーカル三十三回忌 元メンバーらが回顧
「ペドロ&カプリシャス」のボーカルといえば高橋真梨子のイメージが強いが、実は彼女は2代目。初代には前野曜子という歌い手がいた。さる7月31日が三十三回忌だった。
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「何十年も歌づくりをしていますけど、“いい声だなぁ”と心から思ったのは、藤圭子さんと前野曜子さんくらいですね」
と語るのは歌手の小椋佳さん。1977年にリリースした自身のアルバムに収録された「風船の愛」を歌ってもらったという。
「ちょっとハスキーで味わい深い声質にグッと惹きつけられました。高橋真梨子さんも素晴らしいですが、個人的には前野さん。声質は生まれつきのものですからね。もう三十三回忌ですか。彼女のような歌い手はなかなか出てきません」
48年に東京・銀座で生まれた前野曜子は、高校を中退して宝塚音楽学校に進む。第53期生として宝塚歌劇団へ入団するも1年で退団。東京に戻って、バンドを組みクラブで歌い始めた。
「事務所が同じこともあって、曜子の歌はよく聞きに行ってましたよ」
と語るのは、グループの初代ドラマーを務めた鈴木ウータン正夫氏である。
「私たちはインストゥルメンタルのラテンバンドでしたが、女性ボーカルを入れようという話になり、曜子に“一緒にやろう”と声をかけたら、“私も煮詰まっていたところ”と。お互い渡りに船でした」
71年、曜子を迎えて初のシングル「別れの朝」は、いきなりオリコン4週連続1位を記録した。
「曜子はお嬢様育ちでね。大磯での仕事の帰りに、葉山にあるご実家に寄らせてもらったことがあったんですが、車寄せがあって、大きな庭に池があって……。イベント帰りの派手な格好のまま和室に通されてお薄を頂きました。思い返すと異様な光景だったかもしれません」(同)
アルコール依存症
そんな彼女がグループに在籍したのはわずか3年弱。
「マスコミ相手の仕事が合わなかったんだと思います。たびたび仕事をすっぽかすようになり、73年に突然脱退してしまいました。というか、惚れた黒人歌手を追いかけてアメリカに渡ってしまったんですが」(同)
もっとも、恋の逃避行は実らずあえなく帰国。その後、映画「蘇える金狼」やアニメ「スペースコブラ」の主題歌などで再び注目されることになった。
「宝塚出身のお嬢様なのに、大胆な面もあって、そのギャップが面白かった。悪ぶってお酒を豪快に飲んでみたりね。一晩でバーボンの水割りを10杯は飲んでましたね」(同)
だが、その酒が彼女を蝕んだ。
「実は、妻子ある作曲家と恋仲になってしまって……」
と彼女の知人が明かす。
「罪悪感を抱え込んだ曜子さんは、酒に溺れ、アルコール依存症の末、心を病んで入院してしまったんです」
88年、この作曲家が病死すると、3カ月後、曜子も後を追うように息を引き取った。享年40。その人知れぬ死が報じられたのは没後3年経ってからだった。
「見舞いにも行きました。訃報は報道の前に知りましたが、その時はショックで涙が止まりませんでした」
と再び鈴木氏。
「曜子は、歌唱力のみならずリズム感も抜群の、最高の歌い手でした。声はどこか妖しげで弱々しくもあり、一方で力強さも感じさせる。私は“和製ジャニス・ジョプリン”だと思っています」
東京・四谷にある真英寺。彼女が眠る墓には一対の花束が手向けられていた。