浜口京子とケガに泣いた頭脳派 レスラー、「皆川博恵」が東京五輪にかける想いを語る
格闘技の中でもレスリングは、互いの顔と顔が最も接近する。それだけに新型コロナウイルスの猛威の中、本格的な対人練習は難しいが五輪でメダルを量産する女子レスリングの注目度は高い。先行き不透明の中、五輪代表に選ばれた「なでしこレスラー」はどんな思いでいるのか。76キロ級の皆川博恵(33・クリナップ)を紹介したい。年齢を強調して申し訳ないが日本代表で唯一の「昭和生まれレスラー」だ。
京都府出身。旧姓鈴木。幼少期から父秀和さんの指導でレスリングを始めた。立命館宇治高校では63キロ級でインターハイ制覇、立命館大学では全日本学生選手権の72キロ級で2連覇した。立命館大学を卒業し、クリナップに所属した。
全日本レスリング選手権を5度優勝、全日本選抜選手権(明治杯)6連覇などの実力者だが五輪は遠かった。父親とともに人気者の実力者、浜口京子が立ちはだかっていた。アテネ五輪と北京五輪で銅メダルだった浜口は2015年に引退。国内無敵の鈴木に夢のオリンピックが見えてきた。
しかし、五輪前年の世界選手権で成績を残せば代表入りという時に不運が襲う。直前の合宿中に右膝を負傷し手術、選手権には出られず、掴みかけた五輪切符は飛んで行った。
ショックは大きかった。
「リオ五輪は時差で、レスリングが日本時間の未明だったこともあったけど、テレビ中継も見ませんでした。悔しくなるので見たくなかったんですね」
「五輪を目指さなくても続けたくなった」
「もう次は無理」と引退しかけた。ところがすぐには引退できない理由があった。
「会社(クリナップ)との契約が国内試合には出るということだったので、仕方ないなという感じで続けていました」
そのうち「怪我で出ないまま終わるのもちょっと寂しいな。やっぱり試合に出て負けて終わりたい」と考え、17年にパリで開かれた世界選手権後の引退を密かに決めた。ところが重圧や悲壮感もなく戦えたせいか見事、3位に輝いた。
「世界選手権で初めてメダルを取って気持ちが変わったんです。東京五輪を目指したのではないのですが、レスリングは楽しいな。もう少しやりたいなと思うようになったんです」
この頃、大学時代にレスリングをしていた皆川拓也さんと結婚した。
「夫はサラリーマンで、先に家に帰った方が料理番と決めてるんですけど夫のほうが料理がうまいんですよ」と笑う。
そして昨年9月にカザフスタンで行われた世界選手権で3位以内なら五輪代表に入れるところまでこぎつけた。オリンピックは日本一だから出場できるというわけではなく国際基準がある。
筆者も取材に駆け付けた。皆川はHIROE MINAGAWA SUZUKIと旧姓を交えてコールされた。順当に勝ち上がり準決勝でエストニアの選手を7-0で破った。「3位以内なら五輪内定」をクリアした瞬間、感涙にむせんだ。決勝は米国が誇るアデライン・グレイ、世界選手権4度優勝の絶対王者だ。皆川は善戦し終盤にグレイの両足を抱える逆転の好機もあったが逃げられ、2-4で敗れた。初の銀メダルだった。
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