日韓併合110年…併合反対の伊藤博文を悪人と呼び、暗殺者を英雄視する韓国

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統治政府の建物跡に「国恥址」という表示

 1965年、日韓基本条約を締結した日本の外務省は日本大使館の用地として、総督官邸があった南山北麓を要望したが、朴政権は拒絶して代わりに鐘路区中学洞を用意した。
 表向きには反日感情を考慮して総督の跡地を避けたことになっているが、中央情報部を隠すためだったようだ。

 中央情報部から改組した国家安全企画部が1995年に瑞草に移転すると、土地の所有権はソウル市に移転したが、統治政府の建物はすでになく、建っていた場所すらわからなくなっていた。

 1926年に刊行された『京城の光化』という本に、大公孫樹(銀杏)があると書かれており、樹齢500年以上とみられる銀杏と日韓併合を推進した林権介の銅像の台座が見つかった辺りをソウル市は官邸が建っていた場所だと推定した。

 ソウル市は、統治政府の建物があったと推定した場所を南山人権の森公園として整備する。

 人権の森には「国恥址(韓国統監官邸址)」という表示がある。
日本が韓国を併合した経緯は、朝鮮王朝の開化派とその後に誕生した大韓帝国が要望し、併合反対を主張した伊藤博文を安重根が暗殺したからである。

 その併合反対派の領袖を悪人と呼び、暗殺者を英雄扱いする一方、謝罪と賠償を要求する二枚舌こそ、まさに国恥だろう。
 約束を守らない気質は130年以上経ったいまも変わらない。これも国恥である。
 歴史を顧みず、反省しない民族に未来はない。

佐々木和義
広告プランナー兼ライター。商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、プランナー兼コピーライターとなる。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い、2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、日系専門広告制作会社を設立し、現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年8月23日掲載

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