日韓併合110年…併合反対の伊藤博文を悪人と呼び、暗殺者を英雄視する韓国

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総督府官邸があった場所で「日帝残滓」の抹消を唱える文大統領

 併合反対派の中で最も力を持っていた伊藤博文が亡くなると、軍閥は韓国を併合した。110年前の1910年8月のことである。

 日本政府は1927年、韓国を統治する拠点として、韓国の著名な観光地である景福宮前に総督府を移転したが、統監府が最初に建てられた正確な場所はわかっていない。60年前ほどまであった建物なのだが。

 統治以前に日本の公使が滞在した場所はわかっている。朝鮮王朝は漢城(ソウル)を訪問した日本の大名や商人を饗応する施設を用意した。施設は倭館と呼ばれ、日本が公使館を建設する1880年代まで日本の公使が宿泊した。
 倭館一帯は、統治時代には大和町と改称された。現在の行政区域は忠武路だが、大韓帝国時代は倭館洞と呼ばれ、いま、マンション建設が進められている。

 1885年、日本政府は、この倭館洞を見下ろす南山の北麓に日本公使館を建設。公使館は1906年から統監府の庁舎となり、10年から26年まで総督府庁舎、総督府が景福宮前に移転した27年から39年まで総督官邸として使われた。
 総督官邸を総督府庁の裏山に移転した39年以降は、歴代統監や総督に関する文物を陳列した記念館として一般公開された。
 なお、このとき総督官邸が移転した景福宮の裏山は、いまは青瓦台(大統領府)が建っている。
 文在寅大統領は総督府官邸があった場所で、日帝残滓の抹消を唱えている。

 戦後誕生した李承晩政権は、1946年、旧総督官邸を博物館に変え、1954年から連合参謀本部となった。1960年から首相官邸になる予定だったが、朴正煕政権が中央情報部を設置して、一般人が立ち入りできない場所となった。

 中央情報部の主な任務は北朝鮮工作員の摘発や反政府運動の取り締まりである。1973年に東京で金大中氏を拉致し、1979年に朴正煕元大統領を暗殺したのも中央情報部だが、組織はもちろん本部一帯もベールに包まれていた。

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