サッカー界の伝説となったインテルFWの「背番号1+8」 秘められた男の意地とは?

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 欧州サッカーの最強クラブを決めるUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦が、日本時間8月24日(月)早朝4時にキックオフされる。下馬評では、世界屈指の「背番号9」レヴァンドフスキを擁するFCバイエルン・ミュンヘンの有利となっている。

 サッカーで「背番号9」といえば、そのチームの点取り屋に与えられるエースナンバー。時にはチーム内で有力選手たちによる背番号争いが起きることもある。

 そこで、自他ともに認める「番号マニア」のサイエンスライター佐藤健太郎さんの新刊『番号は謎』から、サッカーの背番号にまつわる逸話を紹介しよう。

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「サッカーの神様」は10番がお好き

 サッカーで背番号が導入されたのは、1928年8月25日にイングランドで行われた、アーセナル対チェルシー戦であったといわれる。このとき、ゴールキーパーを1番とし、自軍ゴールから敵ゴールに向けて順に番号が振られた。

 その後、フォーメーションは時代によって変化していくが、背番号のつけ方は基本的にこの伝統が守られている。このため、2~5番がディフェンダー、6~8番はミッドフィールダー、そして、点取り屋のストライカーが9番、ゲームをコントロールする中心選手が10番というイメージが定着している。

 ゲームをコントロールする中心選手が10番をつけるようになったのは、「サッカーの神様」ことペレの活躍によるところが大きい。1958年のワールドカップで、わずか17歳でブラジル代表となったペレは、自由自在にゲームをコントロールし、大会通算6得点を挙げる活躍で母国に優勝をもたらした。

 その後、多くの選手が10番を背負いたがるようになった。たとえば1982年のワールドカップでは、アルゼンチン代表はアルファベット順に背番号をつけたが、マラドーナのみ順番を破って10番を背負った。

 またポルトガルのパウロ・フットレは、ウェストハムに所属した際に16番を与えられたことに激昂し、弁護士を立ててまで10番を要求した。結局彼は10万ポンド(約1274万円)を支払って背番号10を手に入れたというから、そのこだわりは尋常ではない。

 一方、日本で有名なのは、カズこと三浦知良の背番号11だろう。これまでプレーしたほとんどのチームで11番を背負っており、日本代表のキャプテンに選出されたときも10番を断って11番をつけた。車のナンバーも11番、駐車場で11番に車を止めることはもちろん、契約延長の発表も毎年11月11日11時11分に行うという徹底ぶりだ。

9番を奪われた男の意地

 ユニークなのは、チリ代表であったサモラーノのケースだ。彼はインテル在籍時に9番を背負っていたが、スター選手のバッジオが加入した際に、バッジオが10番、それまで10番だったロナウドが9番を付けることになり、サモラーノは18番に変更されてしまった。

 そこでサモラーノは、ユニフォームの背番号の1と8の間に小さな「+」の文字を縫い付けるという奇策(?)に打って出たのだ。「1+8」で、自分こそは9番を背負うべき存在という主張の表れであっただろうか。

 かくも、選手と背番号の結びつきは強い。どの競技であれ、当初は区別のために機械的に決めていた番号に、やがて思い入れと物語が付加され、選手個人の、そしてファンのものになっていく流れは同じであるようだ。

 ただの数字になぜというべきか、無味乾燥な数字だからこそ思いを乗せやすいのか、どうにも番号とは不思議である。

デイリー新潮編集部

2020年8月23日掲載

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