枝野も野田も小沢一郎が大嫌いだったはずじゃないのか 新党結成で蘇る民主党の悪夢
数合わせ
消費税増税の影響で、2010年7月の参院選で民主党が議席を減らすと、小沢氏は総理退陣や枝野氏の幹事長辞任を迫った。そして同年9月の代表選挙に小沢氏が出馬、深刻な党内抗争へと発展する。
さらに、2011年9月に発足した野田内閣でも激しい対立が続いた。小沢氏と野田氏は2012年5月、消費税増税を巡って会談した時、野田首相は、
「財政状況が厳しい中、(増税は)待ったなしだ」
小沢氏は、
「大増税の前にやるべきことがある。経済政策の面でも実態の面でも納得できない」
と反論した。会談は平行線に終わり、その2カ月後の7月に小沢氏ら国会議員50名が離党届を提出したのである。小沢グループ離党後も、櫛の歯が抜けるように離党者が続き、12年12月の総選挙では、230あった議席が57まで大きく後退。民主党は下野した。
野田前首相にしてみれば、民主党政権崩壊の元凶は小沢氏。野田、枝野の2人が大の小沢嫌いであることはあまりにも有名な話だ。それが一緒に新党を結成するとは……。
「結局は数合わせ、ということでしょう」
とは、政治アナリストの伊藤惇夫氏。
「枝野代表は、小沢氏に対して、党名を変えるなど新党合流へのハードルを下げてきました。
かつて民主党政権を崩壊させた小沢氏と手を組むなんて、普通なら考えられないことですが、枝野代表は心のどこかで、小沢氏を信奉しているところがあるんでしょう。新党を結成するにあたって、相談したり知恵を借りたりするには小沢氏しかいないと思っているようですね。でも、小沢氏の党運営は、途中までうまく行くけど、新進党を解党させたように、失敗の連続です」
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