文大統領「光復節」演説の行間から「元徴用工問題」を読み解く
メディア業界には「悪いニュースが良いニュース」という逆説的なフレーズがある。悲惨な事件や事故、深刻な政治対立など、つまりは「悪い」ニュースであるほど読者や視聴者に伝えるべき「良い」ニュースだ、というわけだ。
韓国・文在寅(ムン・ジェイン)大統領の演説や記者会見が、毎回のように日本のメディアで大きなニュースとして取り上げられるのも、それだけ日韓関係が悪化しているために他ならない。
とりわけ、8月15日の「光復節」に文大統領が行った演説は重要なものとなった。
8月4日に「元徴用工」をめぐる訴訟で、韓国の裁判所からの差し押さえ通知が「日本製鉄」(旧「新日鉄住金」)に届いたとみなされる「公示送達」の効力が発生したためだ。
これは、韓国大法院(最高裁)が同社に賠償を命じた判決を受けて、原告側が既に差し押さえた同社の資産を現金化する上で、節目となる司法手続きだ。日本製鉄が手続きの差し止めを求める「即時抗告」を行ったため、すぐに現金化とはならないが、それも数カ月間の「時間稼ぎ」に過ぎないだろうとみられている。安倍晋三政権は日本企業の資産が現金化されれば韓国への対抗措置も辞さない構えで、そうなっては、日韓関係は一段と深刻な状態に陥る。
そうしたさなかに文大統領が行った演説の内容について、日本メディアの評価はあまり芳しくない。
文大統領が対日批判を抑え、また、「元徴用工」問題に関して、
「被害者らが同意できる円満な解決策を日本政府と協議してきたし、今も協議の扉を開いている。我が政府はいつでも日本政府と向き合う準備ができている」
と対話での解決を呼びかけたことは、肯定的に受け止められた。
しかし、大法院の判決について、
「大韓民国の領土内で最高の法的権威と執行力を持つ」
と述べて判決を尊重する考えを改めて示したこと、「円満な解決策」とは何を想定しているのか具体的な言及がなかったことなどから、「原則論で譲らず」「日本に譲歩を求めている」といった結論が目立った。
本当に、それほど「悪い」ニュースなのだろうか。
敢えて触れた「国際法」
文大統領の演説内容を読み進める中で、私は「おや?」と思った部分がある。
「国際法」に触れたくだりだ。
大統領は、
「三権分立に基づく民主主義、人類の普遍的価値と国際法の原則を守っていくため、日本とともに努力する」
と述べた。
このうち、「三権分立」は、行政(韓国政府)としては司法の判断(大法院判決)に介入できないことを日本側に改めて指摘する意図があるのは間違いない。
「人類の普遍的価値」は、徴用によって強制的に働かされたと訴えを起こした元労働者たちの人権を救済するという普遍的な意義を指しているのだろう。
ここまでは文政権の従来からの姿勢と変わらない。しかし、「国際法」に関していえば、これは安倍政権が一貫して「大法院判決は国際法違反だ」と声高に主張していることに歩み寄ったようにも解釈できるのだ。
再確認になるが、日本側が「国際法違反」と韓国側を強く批判しているのは、日本が36年間にわたって韓国を統治した時代に関する請求権については1965年に両国が締結した「日韓請求権・経済協力協定」という国家間条約で「完全かつ最終的に解決された」と明記されたことに拠る。然るに、大法院判決が原告側の賠償請求は解決されていないとしたのは、国家間の条約の順守や履行を義務づけた「ウィーン条約」に違反している、という論理だ。
これまで、文政権はこの「国際法違反」をめぐる議論という土俵に、上がろうとしなかった。上記のように、三権分立の原則から司法には介入できないとし、また、請求権協定で定められている紛争(協定の解釈をめぐって日韓間で違いが生じた状態)解決の手段としての2国間協議にも、第3国を交えた仲裁委員会の設置にも、応じようとしなかった。安倍政権は「国際司法裁判所」(ICJ)への提訴も視野に入れているとされるが、そもそも韓国はICJでの訴訟に応じる義務を負っていない。
ただし、文政権が国際法違反だと自覚しながら放置してきたのかというと、そういう訳ではない。
これまで文大統領は、
「大法院判決は請求権協定を否定したものではなく、その適用範囲に関して従来の(日韓双方の)政府判断と異なる見解を示したに過ぎない」
と説明している。
そして確かに、判決文は請求権協定を「無効だ」とはみなしてない。
今回の「光復節」の演説でも、文大統領は、大法院は請求権協定の有効性を認めているという見解を示した。
つまり、大法院判決が国際法違反(条約を順守・履行しない)ではないとする立場を転換したわけでない以上、わざわざ「国際法の原則を守っていくため、日本とともに努力する」と述べる必要は、ないのだ。ないのに、「元徴用工」をめぐる訴訟で日本企業の資産現金化が近づこうとする極めて重要なタイミングで、かつ、「光復説」という韓国でのナショナリズムが高揚する節目で、文大統領が気まぐれで国際法に触れたはずがない。演説の行間には、政権としての一定の方針や検討結果が込められていると見た方が自然だ。
「原則」に込めた意味
そういう前提で改めて考えると、気になるのは、文大統領がいう国際法の「原則」とは何であろうか、という点だ。ストレートに国際法を守るために日本と協力すると述べるのではなく、敢えて「原則」をつけたことにも深慮があるはずだ。
日本企業、とくに日本が韓国を統治していた時代に徴用令などに基づいて韓国人を働かせた日本企業は、1965年の請求権協定によって様々な問題がすべて解決されたという大前提があったために、韓国に安心して(再)進出することができた。
また、韓国政府においても、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が日韓国交正常化交渉の記録を公開して当時の詳細なやり取りを検証した結果、慰安婦問題などは国交正常化交渉で議論されていなかったので請求権協定の対象外とみなしたが、「元徴用工」に関しては議論されていたので協定の対象だと判断した。そして、「徴用」された人たちの救済措置は韓国政府に責任があるとして、実際に立法措置もとられた。しかも、その判断の過程には、当時、盧武鉉大統領の側近だった文在寅氏自身、深く関わっていたのだ。
こうした点を踏まえると、文大統領がいう国際法の「原則」とは、国交正常化以降の日本企業の韓国進出(しかもそれは韓国の急成長に少なからぬ貢献をした)や、「元徴用工」は請求権協定の対象とした自分たちの判断、そういった「歴史」とほぼ同義なのではないかと思える。その「歴史」は、国際法に照らして請求権協定という国家間条約を順守・履行してきたからこそ誕生したものであり、それを日本とともに守る用意があると表明したのではなかったか――。
「良いから良い」ニュース
希望的観測が強すぎるのではないか、というご指摘を受けるかもしれない。
ただ、日韓関係に携わる政府当局者や識者の間では、今回の文大統領演説の前から、いくつか解決のシナリオが取りざたされてきた。
たとえば、日本製鉄など「元徴用工」訴訟の被告になっている日本企業が経済的な損失を被るのを防ぐため、現金化された資産を韓国政府が買い取って日本企業に返却するという案。最初にこれを聞いたときは、「司法の判断や手続きには介入できない」、「日本政府がもう少し謙虚な姿勢を持つべきだと思う」といった発言を繰り返してきた文大統領が飲むとは、とても思えなかった。
しかし、今回の「光復節」演説で「国際法の原則」という言葉が登場したことで、もしかすると、文大統領が事態の打開に向けて何らかの策をまとめ、一歩踏み出す決断をしたのではないかとの望みを感じたのだ。
もしかすると、これは「悪いから良い」ニュースなのではなく、「良いから良い」ニュースではないのだろうか。