韓国に登場したオリジナルコーラ「独立815」、国威発揚・愛国マーケティングの興亡

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始まりはコカ・コーラ米国本社とのトラブル

 時は1998年、通貨危機の嵐が吹き荒れる韓国では疲弊した国内経済の活性化や雇用維持、そして外貨節約の観点から国産品を愛用すべしとの機運が盛り上がっていた。そんな折も折、大邱の汎洋(ボムヤン)食品が韓国・国産のコーラである「815コーラ」を発売し、コカ・コーラなどの海外ブランドコーラに挑戦状をたたきつけた。当然、「815コーラ」は発売と共に大きな注目を浴びることとなった。

 多くの日本人がドキッとするネーミングであるが、ボムヤン食品がこの国産コーラを発売するに至った経緯を見れば、「815コーラ」という名前=反日だと決めつけてしまうのは、早計である。彼らが強く意識して、そして独立したかった相手は、日本ではなく米国のコカ・コーラ本社であったのだ。

 ちなみに1998年当時の日韓関係は、少なくとも両国でNOジャパンや日本製品不買運動、嫌韓デモを行っている今現在よりははるかに静かな雰囲気であったことを申し添えておく。

 まず最初にコカ・コーラシステムと呼ばれるコカ・コーラの製造、流通体制について説明する必要がある。コカ・コーラシステムは、コーラなど清涼飲料の原液を製造する企業と、各地域でその原液に甘味料や炭酸水を加え、容器に充填した最終製品の清涼飲料水を製造販売する企業(ボトラー社)などで構成されている。当然、日本のコカ・コーラもこの方式で製造販売されている。

 次に韓国におけるコカ・コーラの歴史を見てみよう。韓国の地に初めてコーラがもたらされたのは1950年頃、当時韓国に駐留していた米軍将兵たちによってといわれている。1968年には韓国国内初のボトラー、漢陽食品により国内生産が開始された。以後、韓国の各地方エリアを担当する地域ボトラーが続々と誕生し、1973年にはボムヤン食品が大邱、慶北、忠清地域を担当するボトラーとしてコカ・コーラ社製品の生産、販売を開始した。翌1974年には韓国コカ・コーラ(株)が設立され、韓国内での原液生産が始まった。

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