渡哲也さんを偲ぶ 伝説のドラマ「西部警察」の澤田幸弘監督が語る“大門圭介の演じ方”
ハードな撮影
ただし、『西部警察』では事なきを得たが、後続作品的である同じテレビ朝日の『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(1989~90)では負傷した。ヘリから飛び降りるシーンで左足腓腹筋を断裂している。渡さんがスタントマンを使わなかった証左とも言えるだろう。
「大門役ほど体を使った主役はいませんよ」(澤田監督)
そもそも『西部警察』当時の渡さんは、日常自体がきつかった。密度の濃いドラマが週1回、5年にわたって放送されていたのだから。1クール(3カ月)で終わってしまう今のドラマとは事情が違う。
「撮影しないと週1回の放送に間に合わないので、台風が来ようが、地震が起ころうが、絶え間なく撮っていた。休みは週1回でした」(澤田監督)
ただし、渡さんはもちろん、不平不満を口にする者は1人もいなかったという。西部署捜査課長・木暮警視に扮した石原裕次郎さん(1934~1987)と渡さんのドラマだったからだ。
撮影現場には2人と同じ日活出身者が多かった。2人は日活のカリスマ。このため、「絆でつながっていた」と澤田監督は振り返る。
澤田監督の日活でのデビュー作『斬り込み』(1970)に主演したのも渡さん。また、『西部警察』で爆発シーンを効果的に使った小澤啓一監督(87)も、日活時代に渡さんの代表作の一つ『無頼 人斬り五郎』(1968)を撮った人なのだ。
澤田監督は『西部警察』の撮影で渡さんに演技指導したことは一度もないという。
「動きを決めるだけ。テストをやったら、すぐ本番です。演技を既に自分で持っている人ですから」(澤田監督)
渡さん側からの注文もほとんどなかった。
「たまに『このアクション、こうしませんか』と言われたことがあったくらい」(澤田監督)
日活時代からの長い付き合いで、信頼し合っていたからだろう。
そんなチームの頂点にいたのは、もちろん裕次郎さん。それは形としても残っている。『西部警察』の出演者やスタッフを記したオープニングロールで最後に表示される「制作」はテレビ朝日ではないし、裕次郎さんが社長を務めていた石原プロモーションでもない。「石原裕次郎」なのである。
こんなドラマ、今はもちろん、当時でも考えられなかった。それをテレ朝に許させたのは、大スター・裕次郎さんの力にほかならない。とはいえ、裕次郎さんと渡さんが、奢ったり居丈高になったりすることは一度もなかったという。
「2人とも誰とでも対等な目線でした。裕次郎さんはやさしい人として知られますが、渡さんもそう。だから、みんな2人に付いて行った」(澤田監督)
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