文大統領「8・15演説」からスッポリ抜け落ちた「韓国の不都合な真実」の全て
日韓不和の原因やそれを解決すべき責任を日本側に転嫁する物言いに
8月15日、韓国の「光復節(日本からの植民地支配解放記念日)」に際して、文在寅大統領が演説を行った。冷え込み続ける日韓関係にあって、それは注目されたが、両国の関係に配慮したというよりはむしろ、いたって原理的な話にとどまっていた。相変わらず日韓不和の原因やそれを解決すべき責任を日本側に転嫁するような言葉が続いたのだった。日韓関係史を専門とする在韓の専門家による分析。
1945年8月15日、日本が太平洋戦争で負けた日、韓国は日本の植民地支配から解放された。この日を、日本では終戦記念日と呼び、韓国では光復節と呼ぶ。「光復」という言葉は、中国の古典に頻出する慣用句で、諸説あるが、一般的には「光」を「回復する」という意味である。しかし、ここでいう「光」は、王朝の威厳、君主の偉大さなどを意味するもので、ただの光ではないのだ。日本からの解放と同時に、立憲民主主義国家を志向した韓国の正体を表す言葉としてはとても似合わない、過去回帰的言葉なのである。だから私は個人的に、この言葉をあまり好まない。
いずれにせよ、1945年8月15日は、韓国が日本の35年余りの植民地支配から脱した祝すべき日で、1949年に法定記念日として指定されて以降、毎年盛大な記念式典を挙行して日本からの独立を祝う。そして、大統領は祝辞を通じて、もし日本との外交懸案があればそれに言及し、もしなかったらなかったで、政府の日韓関係の基本方針について言及をするのが慣例になっている。
目下、元徴用工問題で、破局に近い状態にある日韓両国の関係の回復を願う私は、関係悪化の原因を提供した側が先に関係回復のための具体的なアクションをとることを望む気持ちで、今回の祝辞に特に注目した。しかし、文大統領の言辞は、対話を通じた関係回復といった、いたって原理的な話にとどまっており、相変わらず日韓不和の原因やそれを解決すべき責任を日本側に転嫁するような言辞に失望した。いや、絶望した。
日本の残酷で非道な行動の数々を繰り返し放映、神風特攻隊グッズも
これとは別に、毎年8月15日を前後にして韓国社会では、国民が容易に接することのできるメディアを通じて、過去の植民地時代に行われた、日本の残酷で非道な行動の数々を繰り返し放映したり、日本に対する反感を露骨に表したりして反日感情を刺激する。そして、毎年、その度合いはますますひどくなる一方だ。数日前にあったことだが、某ニュースチャンネルで「神風特攻隊」に関連するグッズがネット上で流通されていると、販売元を見付け出して当局が取り締まり、謝罪を求めるのがニュースになったのを見て、これはないだろうと、頭のなかが混乱してきた。
朝鮮人が35年余りの植民統治期間の間に、日本の植民地支配をどのように受け入れたのか。また、日本の支配下での朝鮮人の生き方、もしくは日本との関わり方はどうだったのかを考えてみると、そう単純化できるものではない。
一般的に、1919年を境に武断統治と文化統治という、統治の基本的なフレームの変化があった。また、1931年満州事変勃発以降、日本の対外進出が活発になるにつれ、同化政策を本格化し、朝鮮人の日本に対する態度にも大きな変化が起こり始めた。
1931年以降、日本の満州への進出は、朝鮮人たちにも一種の転機であったし、その立場を格上げするチャンスでもあった。日本帝国の2等国民という差別を受けていた朝鮮人が、朝鮮以外の地域において、新たに3等、4等国民に編入された被支配民族の上に立つことができたのである。それは堂々とした帝国の一員になったという、身分の上昇を意味した。
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