訪問看護師たちは尊敬できるプロばかりだった──在宅で妻を介護するということ(第6回)

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「在宅」は家を明るくする

 病人を抱えた生活を始めると家の中が暗くなると思っていたが、現実は全く逆だった。

 むしろ明るくなった、活気づいた、生活にメリハリができたというのが私の偽らざる感想だ。

 私は、あまり人の目を気にしない性分だが、人が来るとなると部屋を散らかしっぱなしではまずい。特に病人が使うタオルやシーツなどは、つねに洗濯して清潔なものを用意せねば介護者失格である。洗濯は毎日の日課になった。

 スタッフが来れば応対するのは私しかいない。今でこそ女房とほぼ普通に(寝たきりの状態に変わりないが)話ができるようになったが、当時は片言だけ。病状説明に始まりちょっとした世間話もするようになり、家での会話量がそれまでの何倍にも増えた。

「在宅」を始めていちばん変わったのは私かもしれない。多分表情も明るくなり、以前より快活になったと思う。病院にいたころは女房の病状が分からないために、最悪の事態がいつも頭をよぎり、部屋で一人悶々としていた。しかし今は違う。悪ければ悪いでその状況をリアルタイムで確認できるし、必要とあらば医師や看護師を呼ぶこともできる。この違いはとんでもなく大きい。

 初めて看護師が来る前日、私は落ち着かなかった。普通の客ならお茶菓子でも用意するところだが、こんな場合どうすればいいのか……。ただ迎え入れるだけでいいのは承知していたが、あまりに愛想がないと思った私はスリッパを新調することを思いついた。近くのシマムラに自転車を走らせ700円のスリッパを4足購入した。しかし、これは完全にムダ金になった。

 玄関先でおすすめすると皆さん履いてくれたが、新品ということもあって動きにくい。カーペットに躓いて危険ですらある。玄関先での履き替えのひと手間も煩わしい。1週間もすると私も気をきかせて出さなくなった。

 よく見ると彼らは、いろんな訪問先の状況を想定して、普通の靴下ではなく厚地の室内履きのような靴下をはいている。

 余計な気遣いは無用。

 素の自分、素の介護環境で対峙すればいいのだと、そのとき悟った。

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