サムスン・ヒュンダイ…日本を模倣した2大企業は日本に依存し、韓国経済を支える
東芝は世界の最先端だった大分工場にサムスン側を迎えた後に…
そこでサムスンは、東芝の半導体事業本部長をはじめとする幹部を建設中の工場に招待し、VIP扱いで歓待した。歓待には歓待で応えるのが礼儀である。
東芝は招待の見返りに、世界の最先端だった大分工場にサムスン側を迎えた。工場を見学する機会を得たサムスンは、工場をベンチマークし、さらに大分工場の幹部をヘッドハントして、大分工場と同等設備を持つ半導体工場を作り上げる。
東芝やマイクロンなど上位企業は主軸を収益性の高い次世代メモリに移していたが、サムスンは品薄状態が生じていた旧世代メモリに注力した。この選択が事業規模の拡大につながり、1993年にはDRAM市場で東芝を抜いて世界シェア1位に躍り出たのである。
半導体事業を主導した三男の李健煕(イ・ゴンヒ)氏は、グループの2代目会長に就任。長男の李孟熙(イ・メンヒ)氏が牽引していた砂糖事業は、1993年にサムスングループを離脱して第一製糖グループを結成。サムスンと法的な関係が終了した後、CJ財閥を編成した。
半導体で利益を得たサムスンは、家電にも本格的に進出した。日本はバブルが崩壊した直後で、多くの企業がリストラを進めていた。東芝、松下電器、三洋電機、シャープ、NECなど、大手家電メーカーのリストラにあった技術者を高給で迎え入れ、最新技術を得ていく。
いまでこそサムスンは、世界トップクラスの資金をR&D(研究開発)に注ぎ込んでいるが、韓国企業は通常、時間をかけてR&Dを行うことを好まず、1日でも早い成果を要求する。日本メーカー出身者を獲得しつつ、新たに開発するより実績ある日本メーカーの素材や部品を使うほうが早く結果を出しやすい。
だから、日本企業から素材や部品を購入し、必要なときに必要な分を購入するオンデマンドが求められる部材は、日本企業と合弁工場を建設していく。
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