夏の甲子園 「島村俊治アナ」が今も忘れない名勝負 1974年「防府商VS鹿児島実」

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定岡の友情

――注目の定岡投手は、試合終了の挨拶のときには治療から戻っていたんですよね。

島村:忘れられないのは両チームが試合終了の挨拶を行って、鹿実は三塁側だったと思うんですけど、そこから選手がネット裏を通って一塁側のダッグアウト横に消えていくときに、森元が顔を上げられずにまだ泣いているんですよ。そのときに定岡が、森元の肩を抱いているんです。定岡はチームメートのエラーを責めなかったんです。やっぱりこれは、すごく忘れられない場面です。友情だとか、そういうことも絡めて、いいシーンだなと思いました。

――甲子園はいつでも敗者に優しいですよね。

島村:去るときのスタンドの雰囲気なんですが、このとき6万近く入っていたんですけど、まぁ、スタンドの拍手が凄かった。競った展開や逆転劇といった試合の素晴らしさ、面白さも甲子園だし、悲劇的な、ある種、残酷な幕切れを迎えるのもまた甲子園なのかなと思いますね。

 だから甲子園というのは、敗者はいつも美しいなと。青春の輝きがそこにあったんだなと思っています。

――プロ入り後の定岡投手を実況したときには、やはりこの試合を思い出したりしたんでしょうか?

島村:試合前の濡れたユニフォーム、ホームに滑り込んだ場面、センターの無人の芝生の上を転がっていく白球、最後に定岡が肩を抱いて去って行く。どのシーンもやっぱり忘れないですよね。今でも強烈に残っていますね。

週刊新潮WEB取材班編集

島村俊治(しまむら・としはる)
1941年6月25日生まれ。東京都出身。64年に早稲田大学を卒業後、日本放送協会(NHK)に入局。その後、鳥取、鹿児島、大阪の支局時代に地方大会を経験し、72年の春の選抜大会から甲子園での実況を担当することに。プロ野球は79年の日本シリーズ“広島対近鉄”での“江夏の21球”もラジオで実況している。野球のほかにはゴルフ、水泳、陸上など約30競技のスポーツ中継を経験しており、オリンピックも夏季、冬季合わせて8大会を担当している。2000年にNHKを退職後はフリーのアナウンサー、スポーツジャーナリストとして活躍。現在はJスポーツでプロ野球とMLB中継を行っている。その柔らかい語り口は“島村節”とも呼ばれ、今でも高い人気を誇っている。スポーツに関する著作も多数あり。

インタビュー・文:上杉純也

2020年8月12日掲載

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