夏の甲子園 「島村俊治アナ」が今も忘れない名勝負 1974年「防府商VS鹿児島実」
高校球児のいない8月がやって来た。そこで今回は甲子園中止に残念な思いをしている高校野球ファンに向けて、高校野球通の著名人に過去の夏の甲子園大会の試合からご自身が忘れられない名勝負1試合を選んでもらい、語り尽くしてもらおう。題して『夏の高校野球 甲子園球場で私が感動したベストゲーム』。
今回ご登場願ったのは、元・NHKアナウンサーとして聖地で数々の名実況を行った島村俊治氏だ。実況担当224試合、リポートとインタビューが141試合で、この2つを足したらその数は計365試合にも及んだ。その中には開会式7試合、決勝戦12試合、完全試合1試合、ノーヒットノーラン2試合が含まれている。
「これが私の甲子園の歴史です」と微笑む実況の名人が選んだ試合は、1974(昭和49)年のドラフトで読売ジャイアンツに1位指名される甲子園のアイドル投手の試合であった。
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――島村さんに選んでいただいた試合は74年の第56回大会からの試合です。そして、この年から“金属バット”が正式に採用されることになりました。
島村俊治(以下、島村):そういうこともあって、“打高投低”の大会になるのかなと。個人的には以前よりも打球が早くなったと感じましたね。これが一番、金属バットに変わった直後の驚きでした。
――そうなると、逆にこの金属バットに立ち向かう好投手の側にも目が行きますよね?
島村:あの年はまず、右腕なら土浦日大(茨城)の工藤一彦(元・阪神)、それに1年生左腕だった東海大相模(神奈川)の村中秀人(元・東海大相模監督)ですね。そしてなんといってもこの大会の優勝投手に輝いた銚子商(千葉)の土屋正勝(元・中日など)くんですね。
――そんな中、島村さんが今回選んだ試合にも、この大会注目の投手が出場しています。鹿児島実(鹿児島)、鹿実の定岡正二(元・読売)投手のことです。
島村:私が選んだ試合はこの大会の準決勝第1試合、“防府商(山口)対鹿児島実”の一戦です。実はこの前日に準々決勝4試合が行われたのですが、その第4試合の“鹿児島実対東海大相模戦”の勝者が、防府商と対戦することになっていたんです。そしてその準決勝の試合の実況担当が私だったんですね。だから翌日のことも考えて、この試合を実況席の横で見ていたんですが……。
――なんと延長15回の死闘になってしまいました。
島村:この年の東海大相模は、名将・原貢監督にその長男で1年生にして打線の主軸を担っていた原辰徳(元・読売)との親子鷹が話題でね。それから津末英明(元・日本ハムなど)もいて、強力打線が自慢でしたね。
さらに、初戦で好投手・工藤のいた土浦日大と対戦して、延長16回、3-2でサヨナラ勝ちしていたんです。優勝候補の土浦日大に勝ったことで、より注目度が増していました。
グショグショのユニフォーム
――一方の定岡さんはどんな評価だったんでしょうか?
島村:定岡は甲子園に来てから佼成学園(西東京)戦と高岡商(富山)戦と2試合連続完封しているんです。でも、それまではそんなに知られていませんでした。
ただ、九州地方では184センチある大型投手として知られていましたよ。それに薩摩男児然としてハンサムな風貌でしたから、九州では名前が知れ渡ってはいたんです。そういうのはあったんですが、全国的にはまだそんなに知られてはいなかったんです。
――その定岡さん擁する鹿実が延長15回、3時間38分の死闘のすえに優勝候補の一角に勝ってしまった。ちなみにこの試合の終了時間は19時37分となっています。
島村:この試合、原辰徳には3安打されるんですが、延長に入ってからは無安打に抑えているんですよ。しかも213球の熱投で5-4と競り勝ったワケです。優勝候補の東海大相模相手に延長戦での劇的な勝利で、一躍、スターになったと思いました。
実は私はこの前年までNHKの鹿児島放送局勤務だったんです。だから多少なりとも鹿児島県の高校野球界に関しては知識があったんですが、あのときの定岡はね、速球と大きなカーブ、球種はこの2種類くらい。で、前の年まではライトをやっていたんですよ。
そして、鹿児島にいた関係で、久保(克之)監督とは大変親しくさせていただいていました。なんでも話をしてもらえたんですね。なので、その準決勝の試合直前に直撃取材をしたんです。「昨日あんな遅くまで戦っていて、選手はちゃんと寝れたんですか? 興奮して寝れなかったんじゃないですか?」って聞いたら、「眠れない選手が多かったと思います」と。でも、そう言う久保さんの眼も真っ赤だったんですよ。これはあまり寝てないんだなと察しました。
で、そんな中、定岡の状態はどうかなと思っていたら、ユニフォーム姿の定岡がすぐそばに来たんですよ。咄嗟にユニフォームを触ったんですが、濡れていました。
多分、夜遅かったから、洗濯しても間に合わない。一応は洗濯してみたんだけど、結局はグショグショで、前日の15回まで戦った汚れたユニフォームを、そのままを着ることになったんだと思います。
私は「何か気持ち悪いんじゃないの?」って聞いたんですが、「でも、どうせ始まったら汗かきますから大丈夫ですよ」って言って、健気にマウンドに向かっていったんです。実はそんな感じで試合が始まったんですよね。
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