文在寅も激励、日本国内の「最後の徴用工村」…政治的に利用されてきた歴史をひもとく

国際 韓国・北朝鮮

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救援募金が殺到、買い取られた土地は「最後の徴用村」として政治的に利用され

 かつてウトロ地区の住人が強制収容されるというニュースに接し、韓国と日本で純粋にこれを助けたいという支援団体がいくつかできた。そのなかで「KIN(地球村同胞連帯)」(KINとは韓国内にある在日支援団体)が最も代表的団体であろう。

 KINの活動により、2004年9月には韓国で開かれた国際会議にウトロ住民4人が出席し、ウトロ問題を訴えた。このことを機に、韓国の政府関係者や国会議員グループなどの視察が相次ぎ、韓国内でにわかにウトロ問題への関心が高まった。

 さらに、韓国の有名芸能人たちがウトロ村を訪ねて、住民の「ハルモニ(おばあさん)」の手を握り涙を流す「新派劇」さながらの演出をしたりもした。その後、韓国の市民団体によるウトロ救援募金が殺到し、2007年10月28日、土地を所有する西日本殖産とウトロ町内会で地区全体のほぼ半分を5億円で買い入れる合意が成立した(土地売買にはややこしい流れがあるので後述する)。

 今はウトロ村があったところに市営住宅が建ち、55世帯130人の住人がそこに住むことになるとされている。

 行くところもない貧しい在日韓国人(朝鮮人)を助けようと運動を行ったのは良いことであり、また、意味のあることであるが、運動を展開する過程でウトロ地区は、日本に残った「最後の徴用村」と呼ばれる歴史的事実の誇張ないしは拡大があった。だから未だに、韓国国民にとってウトロ地区は、日本内に残っていた朝鮮人たちの「最後の徴用村」として認識され、反日感情を呼び起こす素材として消費されているのである。

 私が言いたいことは、在日韓国人(朝鮮人)が日本に定着した過程や経緯は、まさにさまざまであるということである。にもかかわらず、まるで母国に戻れず、日本に残った在日韓国人(朝鮮人)は、すべてが強制徴用に連れてこられ、苦労ばかりしていたとし、そのことを歴史として聖域化し、民族受難の主張形成に利用してはいけないということだ。

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