宅急便を再設計して新しい物流を作り出す――長尾 裕(ヤマトホールディングス社長)【佐藤優の頂上対決】

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インフラとなった宅急便

佐藤 私はもともと役所の側にいましたから、どうしても規制緩和に目が行ってしまうのですが、ヤマトさんはほんとうによく規制と戦ってこられたと思います。宅急便もさまざまな規制との戦いだったと思いますが、いまもある、信書、つまりは手紙が運べないという規制は、やはり非合理的ではないですか。

長尾 郵政民営化とともにできた信書便法では、民間事業者にも信書送達への参入が認められました。でも3時間以内での送達など、ニッチな特定信書便には参入する業者(バイク便など)がありましたが、手紙を運ぶ一般信書便事業にはどこも参入せず、いまも日本郵便1社しかやっていません。総務省は開放していると言いますが、10万本の郵便ポストを用意するなどさまざまな制約があり、事実上、参入できない。

佐藤 確定日付が必要な内容証明郵便や裁判所からの特別送達なら郵便局が介在する意味もありますが、普通の手紙が届けられないのは納得いかないですね。

長尾 諸外国では、葉書や定形の封筒といったサイズで信書かどうかを規定していますが、日本の場合は中身です。何が信書にあたるのかはっきりしない上に、開けなければわからない。

佐藤 荷物に手紙を入れても違反になります。

長尾 荷物に同梱できる手紙は、荷物の添え状でないといけないという規則があります。例えば、饅頭を送ったら、饅頭のことが書かれていないとダメなのです。これは一般の方には理解し難い規制です。いまは、信書に該当するような書類でも、出し方、届け方、運び方、どれについてもフレキシブルな対応が求められる時代だと思います。

佐藤 やはりユーザーのことを考えて、利便性を追求していった方がいい。

長尾 まったくその通りです。

佐藤 ヤマトさんも、いまや郵便局と並ぶ日本のインフラだと思います。電気や水道と同じで、今日から営業を止めたら、日本の社会はガタガタになる。

長尾 過分なお言葉ですが、当社が社会的インフラとしての意識をきちんと持ち始めたのは、阪神・淡路大震災があった1995年からです。この年に経営理念を制定したのですが、その内容は「ヤマトグループは、社会的インフラとして」という一文から始まっています。ただ小倉昌男は、その「社会的インフラ」という言葉を入れるかどうか、ずいぶん迷ったらしいですね。入れたいけど、おこがましくはないか、と考えた。

佐藤 謙虚ですね。

長尾 私は阪神大震災の時に神戸にいたのですが、その時はまだ世の中からインフラとして扱われていなかったと思いますし、そういう自覚も社員にはっきりとはありませんでした。社会にとって大切な仕事ではあるけれど、大上段にインフラと振りかざすのは違うという感じでした。でも最終的に小倉昌男は入れました。私たちはそういう位置づけの仕事をしている、と宣言し、その自覚を持とう、と社員に促したわけです。

佐藤 いまはもう誰も違和感を抱きませんよ。

長尾 その後、中越地震や東日本大震災を通じて、その意識は高まっていったと思います。

佐藤 今回のコロナでも、ヤマトさんが動いていなければ、生活に大きな支障が出たでしょう。

長尾 荷物の数でいうと、やはり東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県が大きく増えましたね。また通常のサプライチェーンが機能停止していましたから、従来とは違うビジネスが生まれた。北海道の産品など、普段は市場に出ていた物が、消費者に直接届けられるようになってきました。

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