夏の甲子園「上田まりえ」が今も忘れない名勝負 2004年「済美VS中京大中京」

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長打力のある1番

――ちなみにこの年の済美は打線が春も夏もけっこう打ってたイメージがあります。

上田:確かに。かなり打線が活発で、点を取ってる試合が多くて……でも、その中でこの一戦は2-1での勝利。得点は2点のみなんです。

 ただ、そんな中、甘井選手は、9回裏のサヨナラの得点にも絡んでくるんですよ。殊勲打を打ったのは、2番打者の小松紘之選手なんですが、私的には影のヒーローというか。この試合でのキーマンはやっぱり甘井選手なんじゃないかなっていうふうに思っているんです。

――この年の甘井選手は強打・済美の核弾頭という役割をよく果たしていたなという印象が強いんですよね。

上田:1番打者があれだけ打てる、しかも長打力もあるっていうのは、相手にとってはすごく脅威だったと思うんです。加えてこのときの済美って打線に穴が全然なくて、みんなそれぞれキャラクターが際立っていて、役割分担もすごくはっきりしているような選手たちばっかりだったので、観ていて面白かったですね。

(編集部註:愛媛新聞ONLINEが18年3月に配信した「球春の軌跡 県勢のセンバツ史 <5>済美創部2年でV 私学台頭の転換点に」では、甘井氏は愛媛銀行に勤務と紹介されている ※全角英数を半角に直した)

スコアブックの練習

――準決勝も勝った瞬間には本当に春夏ともに初出場で春夏連覇するなと思ったんですが……。

上田:わずか創部3年目で春の選抜に初出場していきなり初優勝、それで続く夏も決勝戦まで進出した。結果は駒大苫小牧(南北海道)に10-13で敗れて準優勝でしたけど、そこまで勝ち進むっていうのが誰もが驚き、興奮したと思うんです。

 でも、決してビギナーズラックではないというか。運と勢いだけで勝ち進んだんじゃないよっていうことを証明した甲子園でもあったのかなって思いますね。

――その後も甘井選手から受けた影響みたいなものはあったんでしょうか?

上田:野球をより深く勉強するきっかけにもなりました。甘井選手は早稲田大学に進学されたんですが、「それなら1回早稲田の練習を観に行きたい」って。

 この年の早大野球部には千葉経済大学附属のエースだった松本啓二朗(元・横浜DeNA→現・日本製鉄かずさマジック)投手や広陵(広島)で主将を務めた上本博紀(阪神)選手を筆頭にすごく華のある選手が一気に入ったので、早稲田の野球部すごいなと。

 実は、大学に入ったら野球部のマネージャーになりたいと思っていたんです。受験したのは、プロ野球選手を輩出しているような強い野球部がある大学ばかりでした。

 特に東京六大学に対する憧れがすごく強くて。受験勉強に専念しなきゃいけないのに、六大学野球の歴史の本を買って、ずっとその歴史を勉強していました。そのほかには野球部でマネージャーになることを想定して、スコアブック書く練習をしたりして。で、そのスコアを書く練習をしていたときに使っていた試合が、主にこの済美対中京大中京戦だったんです。

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