ソフトボール・宇津木監督に聞く “速射砲ノック”誕生秘話(小林信也)
スタンドから大喝采
宇津木監督の代名詞とも言えるのが《速射砲ノック》だ。
私は、アテネ五輪前、日本リーグの試合で初めて速射砲ノックを目撃した。その衝撃は、噂以上だった。
高校野球のシートノックは、場内アナウンスを合図に選手たちがダイヤモンドに散り、「ボール回し」から始まる。
速射砲ノックはその概念とはまったく違った。
場内アナウンスが「シートノ」と言いかけた時、ベンチを一歩出た宇津木監督がいきなりボールをレフトに打った。外野手が血相を変えてそのボールを追いかける。間髪を容れず宇津木監督は歩きながらセンターへ、ライトへ打球を飛ばした。選手の懸命なダッシュに開いた口がふさがらなかった。そして内野ノック。「1分間に40球」と言われる素早さは、それまで見たどんな名監督のノックとも異次元のテンポだった。
宇津木監督は7分間エネルギッシュに打ち続け、ベンチに引き上げた。スタンドから大喝采が起こる。それが速射砲ノックだった。
いつから、宇津木監督はそれほど速いノックを打つようになったのか?
「日立高崎の監督になった時からですね。女の子は手を抜くところがあるんです。男子みたいにとことんやり切るのでなく、常にどこかに余力を残す。ちゃんと計算しながら、休んでいる。それが女性の感覚なんですかね。
当時日立高崎はまだ日本リーグ3部でしたから、のんびりしていました。練習中ももたもたして、汗をかけばゆっくりタオルで汗を拭く。個人ノックでも、スライディング・キャッチをして、何秒か休む。私はそれが許せなくて頭にきちゃって、とにかく休ませないぞと心がけたら、あのノックになったのです」
速射砲ノックは選手もきついが、誰よりきついのは監督自身だ。伝説になっているシドニー五輪前の台湾合宿。連日、22~23人の選手相手に3時間ノックを打ち続けた。単純計算すれば7200本になる。
「手首が腱鞘炎になりました」
痛めたのは右? 左? 答えは「右手だ」という。
「後ろでボールをもらって、手首を捻って上げるからですかね。ソフトボールは硬球より重くて大きいから」
これを平日でも2千から3千回は繰り返す。痛めるのも当然と言えば当然だ。
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