文在寅が大統領である間、日韓関係は改善しないというこれだけの理由

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無職だった文在寅氏には時間がたっぷりあった

 朴槿恵前政権が立ち往生してから韓国が普通の大統領を選ぶチャンスは2度あった。朴槿恵前大統領の退陣要求が拡大し、韓国国会が朴前大統領の弾劾を決めた2016年12月前後と年明けの17年1~2月頃である。このとき、朴前大統領が自ら辞任していれば、文在寅氏が大統領に選ばれることはなかった。その外交音痴に始まって、日韓関係を最悪レベルにした大統領の資質を問う。

 16年に次期大統領候補と目されたのは、同年12月に国連事務総長の任期を終えた潘基文氏だった。潘氏は反日寄りだが最低限の国際感覚はあるはずだ。

 このとき、在韓米軍への終末高高度防衛ミサイルTHAAD配備はすでに決まっており、中国との関係悪化は時間の問題だった。中韓関係が悪化すれば、韓国は日米との関係を強化するしかない。潘基文氏は反日寄りといえども無難な関係を築くしかない。

 年が開けると大統領代行を務めていた黄教安国務総理が候補として浮上した。機能不全に陥った国政を切り盛りした手腕への評価が高まった。黄教安氏の国務総理就任は15年6月で、日韓関係が改善に向かっていた時期と重なる。朴政権の方向性を踏襲しただろう。

 一方、当時の野党は17年3月まで候補者を絞っていなかった。安哲秀国会議員と李在明京畿道城南市長(当時)がリードしていたが、決め手に欠けていた。そんな中、文在寅氏が朴前大統領の罷免を求めるろうそく集会で反朴運動を扇動し、候補に浮上した。
 他の野党候補は公職があり集会に出られなかったが、無職だった文在寅氏には時間がたっぷりあったのだ。

 文政権誕生から2018年10月まで日韓関係は可もなく不可もない状態で、18年の訪韓日本人と訪日韓国人を合わせた日韓往来は1000万人の大台に達した。
 韓国では高級料理の第1次日本食ブーム、日本酒が牽引した第2次日本食ブームに続き、家庭料理やラーメン、丼など日常食を中心とした第3次日本食ブームが広がった。

平昌五輪の開会式で外交音痴が露呈した

 一方、日本も韓流ドラマの第1次韓流ブーム、K-POPの第2次ブームに続く、韓国グルメを食する第3次韓流ブームに突入していた。ヨン様に熱をあげた女性の子が20代になり、そのヨン様ファンジュニアが韓流グルメブームを牽引した。
 子供の頃から韓国料理に慣れ親しんだヨン様ファンジュニアはB級料理に抵抗がなかったのだ。

 2017年5月、就任した文在寅大統領は、慰安婦合意を破棄し、日本政府が拠出した10億円を返還すると豪語した。
 しかし、韓国内の報道を受けた日本政府が、二国間の合意に基づいて支出した金銭は、韓国が返還したいと言っても受け取らないと発言すると文大統領は合意破棄と拠出金の返還を引っ込めた。
 文在寅大統領が公約に掲げた合意破棄は、朴槿恵前政権が行った政策への批判であり、反日というよりは国内問題だった。

 無難に思われた文政権の対日政策だが、平昌五輪の開会式で外交音痴が露呈した。
 韓国と関係が深い日米中ロのなかで、開会式に出席した首脳は日本の安倍首相ただ一人だった。出席者の顔触れから、外交儀礼上、安倍首相が最高VIPで、米副大統領が2番目と思われた。中国とロシアの首脳級は出席しなかった。しかし、文在寅大統領は、北朝鮮の金永南最高人民会議委員長と金与正中央労働党中央委員会副部長を最高VIPとして扱い、安倍首相と米国のペンス副大統領を気遣うことはなかった。

 文在寅大統領が開会式の前に主催した晩さん会では、日本、米国、中国と北朝鮮が文大統領夫妻と同じテーブルにつくことになっていた。それは、外交儀礼というより、日米と北朝鮮が接触する機会を作る思惑が強かったようだ。しかし、ペンス副大統領は北朝鮮の代表に一瞥も与えず、安倍首相は北朝鮮の金永南委員長に立ち話で拉致問題の解決に触れた程度だった。

 ペンス副大統領は平昌に向かう前に日本に立ち寄って安倍首相と会っており、北朝鮮への対応について話し合ったと思われる。日米代表は北の参加に不快感を匂わせ、北朝鮮と中国は共同歩調を取る日米の結束を再認識しただろうが、外交に疎い文在寅大統領が気づくことはなかった。

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