三浦春馬さんと母の複雑な関係 絶縁を招いた“商売”とは

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 三浦春馬さんの早すぎる死。動機は未だ明らかにされていないが、背景には家族とのトラブルがあったと指摘する声もある。彼の地元・土浦の住民に話を聞くと、三浦さん母子が抱えていた複雑な関係が見えてくるのだ。

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「普通に生きたい」

 一家を知る地元住民は、

「彼が20歳になった辺りで、au向けスマホのCMに出演して、急に羽振りが良くなった。春馬くんが地元に帰ってくる時は、いつもお母さんが軽自動車で送り迎えをしていたのに、いきなりレクサスのLSという最上位クラスの高級車に乗り換えていました」

 母親の外見も驚くほど変わっていったとしてこう話す。

「それまでは田舎の素朴な奥さんという風情だったのに、会う度に着るモノも変わり、仕立ての良い服を着るようになった」

 三浦母子と親交があった知人が言うには、

「春馬の母親は、近所で採れたという果物などをお裾分けしてくれるような人でしたが、春馬が売れっ子になるにつれ、それが高級品に変わっていった。箱入りの和菓子とかの類の品をくれるようになってね。飲食店に行っても、好きなだけ注文して食べきれなかったら残せばいいや、というお金の使い方に変わった。出会った頃とずいぶん違う印象を持ちました」

週刊新潮」7月30日号でも報じた通り、三浦を地元にあった俳優の養成所に通わせたのは、まさに“金の卵”を産んだ実の母である。彼も売れ始めた当初は離婚、再婚を経て自分を育ててくれた母に感謝の念を抱いていたそうだ。

「稼ぎは母への仕送りに充てるなど、三浦自身の金銭感覚はしっかりしていて、購入したSUVは10年ほど乗り続け、服もあまり自分で買わず、“貰ったモノなんです”と言って、スポンサーから提供されたものを愛用していた。放蕩することもなく、“土浦に戻って、町工場でも何でもいいから人目につかない所で普通に生きたい”って漏らすことすらあってね。何度も芸能界から抜けようとしていたけど、母親からこの家はどうなるのといった説得を受け、思いとどまってきたようです」(芸能関係者)

マルチまがいの“商売”

 一時期は、世間からもアイドル扱いされることを嫌がっていたという。

「それが8年ほど前から舞台にコンスタントに出るようになって、役を演じる楽しさに目覚めた。事務所の先輩である岸谷五朗や寺脇康文を慕い、海外の舞台での活動も意識して英国留学するなど自分の方向性を模索。一皮むけようと、もがいていたわけです」(同)

 人間としても成長すべく、新たなステージに立とうと欲する息子とは対照的に、母親は地元でこんな“商い”にも手を出していた。

 先の知人はこうも話す。

「春馬が小さい頃から、お母さんはマルチまがいのハーブティーの販売に熱をあげていてね。息子が有名になってからは、“三浦春馬も飲んでいます”を売り文句にして、“友人にも購入を持ち掛け、売れば億万長者になれる”などと、ネズミ講のようなことを推奨していましたね」

 肉親とはいえ、自分の名を商売に使われたことを知った三浦は嘆き哀しみ、絶縁に繋がったという。

「母親から“春馬の連絡先を教えて”と聞かれたことがありまして……。絶縁してから、彼はケータイを着信拒否にしたのか、実の親と完全に連絡を絶った状態だったようです」(同)

 生き馬の目を抜く芸能界で、彼は本来最も頼りになる筈の両親との関係に苦悩していた。売れて名が知れ渡るほど、募る人間不信。肉親との絆を絶ち、自ら孤独の道を歩んだがゆえに、死を選んでしまったとしたら……。愛憎の果てとはいえ、残された家族の苦悶も察するに余りあるのだ。

2020年8月6日号掲載

特集「『三浦春馬』動機は『家族問題』」より

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