世界王者「浜田剛史」を救った少年時代の「タオルボクシング」(小林信也)

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四葉のクローバー

 その試合に関する短いドラマを、私は34年前、雑誌「BRUTUS」に書いた。テーマは浜田の“足下”だった。

 具志堅用高は、大手M社のラインの入ったボクシング・シューズで脚光を浴びた。浜田にはA社からアプローチがあった。世界戦でA社のシューズを履いてくれれば、浜田だけでなく、ジムの有力選手全員にシューズとウエアを提供する条件だった。しかし、浜田は丁重に断った。

「高校時代から江原さんのシューズを履いていましたからね。プロでもずっと。だから、世界に挑戦する試合でも、江原さんのシューズを履くつもりでした」

 江原というのは、東京・王子駅前にあった江原靴店のことだ。ごく普通の小さな履物店。そのご主人・江原賢一さんが、帝拳ジムに一時通った縁から、リングシューズづくりを依頼された。あの大場政夫も江原のシューズを使っていた。

 しかし、当の江原は気を揉んでいた。試合までひと月を切っても注文が来なかったからだ。大手と契約したのか、それも仕方がない。あきらめかけていた夜、浜田がのっそりと現れて言った。

「今度は長丁場だから軽くしてください」

「よっしゃ、任せとけ」

 江原も気合を込めて勝負靴を手作りする、という物語だった。その取材で私はひとつ大切な逸話を聞き漏らしていた。後日テレビ番組で知って自分にガッカリした。最後の縫い込みに入る前、奥さんが近くの川原に出かける。そして、苦労して見つけた幸運の印を靴底に忍ばせ一緒に縫い込むのだ。それは、“四葉のクローバー”だった。

 浜田も「知らなかった。後で知った」という。

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