世界王者「浜田剛史」を救った少年時代の「タオルボクシング」(小林信也)
「17歳になったらプロボクサーになる、幼いころからずっと決めていました」
この秋60歳を迎える浜田剛史さんが現役時代と変わらない無骨な表情で言った。上体はガッシリ、ずいぶん大きくなった印象を受ける。いまは帝拳プロモーションの代表、選手の育成に携わっている。
浜田は1979年春、沖縄水産高を卒業して上京。帝拳ジムに入った。
「モスクワ五輪(1980年)の強化候補になっていましたが、五輪を目指す気はありませんでした」
浜田が見上げる先はプロの世界チャンピオン。
「子どものころ、週に何度もボクシング中継がありました。沖縄では放送が深夜、眠いのを我慢して見てました。ファイティング原田さん、藤猛さんの時代です」
沖縄県中頭郡中城村で生まれ育った浜田少年は運動神経抜群だったという。
「小学校では野球をやっていました。全国大会の代表にもなりましたが、大人たちの経済的事情で大会には行けませんでした。そのころ、野球チーム対抗のボクシング大会があったんです。そこで初めて14オンスのグローブをつけて戦いました。グローブが重くて、1分でへとへとでした」
それを機に子ども同士、遊びのボクシングを始めた。タオルを拳に巻いて戦った。
「子どもは、強く打ちたいと横から大きく振り回すんです。でも、それでは隙ができる。ストレートを真っすぐ鼻に伸ばした方が速い、当たる、相手がひるむ。私は実戦でそういうことを学んで育ちました」
ボクサーの感性、勝負の基本を浜田は、遊びのボクシングを通して体得した。
高校ではインターハイ優勝。期待されてプロ転向したが怪我に苦しんだ。サウスポーの命である左拳を4回骨折。20歳から22歳までの2年間、リングに立てなかった。ようやく復帰し、15連続KO勝ちの記録を樹立。日本王座、東洋太平洋王座に就いたが、今度は右膝半月板を損傷する。
苦労の末、世界挑戦の機会を得たのは86年7月、25歳の夏だった。
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