「EU首脳会議」が「誕生日」メルケル独首相に贈られた「プレゼント」の意味 饗宴外交の舞台裏(264)

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 来年退任が決まっているドイツのアンゲラ・メルケル首相にとって、7月の欧州連合(EU)首脳会議で議長として復興基金の創設にこぎつけたことは、首相在任中に成し遂げた最高の成果の1つに数えられることになるだろう。同首相は「ドイツ主義者としてではなく、欧州主義者として働いた」との評価を確定したと言ってもいい。

復興基金の創設が最大の議題

 7月17日からのEU首脳会議には、加盟27カ国首脳と、EU執行部側からベルギーのシャルル・ミシェルEU大統領、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長の計29人が出席した。最後に対面で首脳会議が持たれたのは2月だったから、5カ月ぶりに一堂に会したことになる。

 コロナ禍の最中、EU首脳会議はテレビを通じて行われてきた。しかし、今回の首脳会議が対面で行われることになったのは、1つには半年ごとの輪番のEU議長国に、7月1日からドイツがなり、メルケル首相が議長として指揮をとることになったからだ。これを節目として欧州世論に対し、「EUは新たなフェーズにページをめくった」とのメッセージになると首脳らが考えこともある。

 また、この首脳会議では加盟国間で意見が割れている復興基金の創設が最大の議題となる。テレビ会談で深く突っ込んだ議論は不可能で、対面での会議は首脳らの総意だった。

 コロナ対策には万全が期された。握手はせず、肘をつき合わせて挨拶代わりとし、議論の時もマスクは必携。会議場に入れるのは随員2人に制限され、各国首脳の席は2メートルの間隔がとられた。テーブルは徹底して消毒され、係員は全員手袋をはめて接遇に当たった。

象徴的な意味合いをもつ

 この会議が始まる前、久しぶりに顔を合わせた首脳の間で、プレゼントが行き交う時ならぬ光景が繰り広げられた。17日は奇しくもEU議長であるメルケル首相と、ポルトガルのアントニオ・コスタ首相の2人の首脳の誕生日だった。メルケル首相は66歳、コスタ首相は59歳になった。

 エマニュエル・マクロン仏大統領はメルケル首相に、仏ブルゴーニュ地方の白ワインを複数本贈った。ワイン好きのメルケル首相は、中でもブルゴーニュの白を愛飲している。
恐らく幾つかの銘柄を取り混ぜたと思われるが、いずれも最高級格付け「グラン・クリュ(特級)」だろう。その中に間違いなくコルトン・シャルルマーニュが入っていたと、私は想像している。

 というのも、ブルゴーニュ地方でも銘醸ワインを生むコート・ドール(黄金の丘)の中ほどにアロース・コルトン村がある。このあたりのブドウ園からできるコルトン・シャルルマーニュは、西暦8~9世紀、西方世界を統一し、西ローマ皇帝にもなったシャルルマーニュ大帝(ドイツ語でカール大帝)が畑を所有していたことから、その名がつけられたといわれる。大帝の支配地は現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる地域で、仏独両首脳の会食では、両国の融和と協力の象徴として、しばしばこのワインがテーブルに載る。

 マクロン大統領とメルケル首相は5月18日、新型コロナで大きな打撃を受けた経済の復興のため、5000億ユーロ(約58兆6000億円)に上る復興基金の創設で合意した。緊縮財政を堅持するメルケル首相は、それまでEU加盟国が共同で債務を負う復興基金の設立に後ろ向きだったが、その姿勢を180度転換させたのだ。

 これを受けてEU欧州委員会は、7500億ユーロ(約92兆円)規模の復興基金案をまとめ、EU首脳会議に諮るまでにこぎつけた。仏独が協力すれば、ものごとが動きはじめることを久方ぶりに示した。マクロン大統領からすれば、コルトン・シャルルマーニュはこれ以上ない象徴的な意味合いをもったプレゼントだったろう。

 一方、マクロン大統領からコスタ首相には、フランス人画家の絵が贈られた。コスタ首相の父はインドのゴア人、ポルトガル人、フランス人の混血で、それを念頭においてのプレゼントだっただろう。

 その他の首脳からもプレゼントが相次いだ。ミシェルEU大統領は、メルケル首相とコスタ首相にチョコレートをプレゼントした。もちろんベルギーのチョコレートだ。

 ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相も両首相に、同国のアンリ大公(元首)のワインセラー直々の発泡性ワインを贈った。ブルガリアのボイコ・ボリソフ首相から独首相には、銀のフラスコに入ったローズオイルが贈られた。ブルガリアは世界でも屈指のバラの栽培国で、そこから採れるローズオイルは欧州の高級ブランドの香水に数多く使われている。オーストリアのセバスティアン・クルツ首相は、同国を代表する菓子であるザッハトルテをメルケル首相にプレゼントした。

サラマーゴの小説『白の闇』

 各国自慢の嗜好品や特産品が贈られる中にあってそれと一線を画したのが、メルケル首相とコスタ首相が互いに贈ったプレゼントだった。

 コスタ首相はメルケル首相に、

 「誕生日おめでとう。議長の大任もご苦労さま」

 と言って、リボンがかかった包みを贈った。メルケル首相がその場でリボンをほどくと、ポルトガルのノーベル文学賞作家ジョゼ・サラマーゴ(1922~2010年)の小説『白の闇』(邦題)のドイツ語訳本が現れた。

 「私も貴方へ差し上げるものがありますよ」

 と、メルケル首相はコスタ首相に、やはりリボンを結んだプレゼントを手渡した。ポルトガルが植民地としていたインド・ゴアの、17世紀当時の絵葉書の複製と、17世紀のポルトガルの船乗りを取り上げた展覧会のカタログだった。

 サラマーゴの小説『白の闇』は、ある都市の住民のほとんどを失明させた原因不明の感染症の話だ。医者とその妻、そして患者たち数人の命運を縦軸に、後手に回る政府の対策、感染拡大、介助者のいない収容所の中での大規模パニックなど、社会秩序が崩壊する中、医者と妻と患者たちが団結して生き残りを図る姿を描く。極限に立たされた人間の弱さと同時に、魂の力を描いた寓話だ。

 南欧の1国として復興基金を支持するコスタ首相は小説に託して、

 「EUは結束してコロナ禍を乗り越えなければならない」

 とのシグナルを送ったのだろう。

 一方、メルケル首相からコスタ首相に贈られたゴアの絵葉書にも理由があった。前述したように、コスタ首相の祖先はゴア出身なのだ。船乗りの展覧会のカタログから想像するに、彼の祖先は船乗りとして活躍していたのかも知れない。メルケル首相はコスタ首相のことをよく調べさせて誕生祝いを用意したことが窺われる。

 そのコスタ首相は、他の首相にもプレゼントを用意していた。ポルトガル製の白マスクで、右上に各国首脳の名前とその国の国旗を刷り込んだ手の込んだものだった。

 イタリアのジュゼッペ・コンテ首相は、

 「私にツーショットを撮らせてほしい」

 とメルケル、コスタ両首相を並ばせてスマホに収め、それを早速、両首相のスマホに送った。

 実はこの日、もう1人祝福された首脳がいた。7月17日に予定していた結婚式を、首脳会議と重なるため2日前倒しして挙げてきたデンマークのメッテ・フレデリクセン首相(42)だ。相手は長年のボーイフレンドだった映画監督のボ・テングベルグ氏(55)。カップルは昨年結婚する予定だったが総選挙で流れ、今春挙げる予定だった式はコロナ禍でお流れになり、3度目の正直だった。

 フレデリクセン首相は他首脳から祝福を浴び、ルクセンブルクのベッテル首相はメルケル、コスタ両首相に贈ったのと同じ発泡性ワインを結婚祝いに贈呈した。

 仏週刊誌『レクスプレス』は、

 「フレデリクセン首相からドイツとポルトガルの首相に誕生日プレゼントはなかった」

 と書いた。デンマークがスウェーデン、オーストリア、オランダと共に“倹約4カ国”として、仏独がまとめ、南欧諸国が強く支持している復興基金案に反対していることを重ね、

 「誕生日プレゼントがないから、復興基金案を受け入れるようなプレゼントもないだろう」

 と皮肉ったのだ。

大統領がテーブルを叩く音が外まで

 和気藹々のプレゼント交換が終わると、本番の会議になった。冒頭、EUのミシェル大統領は、6月に新首相に就きEU首脳会議にデビューしたアイルランドのミホル・マーティン首相と、首相に再選されたクロアチアのアンドレイ・プレンコビッチ首相に祝意を述べ、続いてメルケル、コスタ両首相の誕生日を祝うと拍手と温かい笑い声が起きた。しかし外交儀礼はここまでで、厳しい議論に入った。

 オランダを筆頭に“倹約4カ国”は、

 「将来返済される融資は認めていいが、返済されない補助金は財政規律を弛緩させる。絶対認めることはできない」

 と、従来の主張を繰り返した。マクロン大統領、メルケル首相、EUのミシェル統領は、

 「EUはいま試されている。その時に弱いEUを見せてはダメなのだ」

 と異口同音に反論した。

 2日間の予定だった首脳会議は結論が出ず、延長戦に入った。最も緊張をはらんだのは、3日目の19日に行われた夕食会の席上だった。議論は袋小路に入っていた。

 「もしあなた方がどうしても反対と言うなら構わない。私とメルケル首相で会見を開き、倹約4カ国が合意をブロックしたと発表するだけだ」

 と、マクロン大統領は苛立って声を張り上げた。大統領がドンとテーブルを叩く音が外まで聞こえたという。メルケル首相も仏大統領を援護した。

 スウェーデンのステファン・ロベーン首相が、

 「いや、議論を続けよう」

 ととりなし、決裂は何とか避けられた。

 5日目の21日午前5時過ぎ(現地時間)、ようやく妥協にこぎつけた。

 当初案は5000億ユーロを返済不要の補助金、2500億ユーロ(約29兆3000億円)を返済が必要な融資としていたが、EUのミシェル大統領が補助金を3900億ユーロ(約48兆6000億円)に引き下げ、融資を3600億ユーロ(約44兆8000億円)に引き上げる新たな案を示した。これに“倹約4カ国”も同意し、計90時間以上に及ぶ議論が決着した。

 メルケル独首相が、

 「世界に素晴らしいメッセージを発することができた」

 と記者会見で述べると、マクロン仏大統領も、

 「欧州にとって歴史的な日になった」

 とツイートした。

 保守系の仏紙『フィガロ』によると、メルケル首相は議長国として、夏休み後に復興基金の議論が先延ばしになることは何としても避けたかったという。

 「首脳会議で復興基金問題を決着させて弾みをつけ、英国とのEU離脱交渉に全力を注ぐのが議長としてのメルケル首相の狙いだった。

 基金が決着しなかった場合の政治的リスクは、マクロン大統領よりもメルケル首相の方が大きかった。EU議長としての指導力に疑問符がつけられるからだ」

 この決着はメルケル首相にとって、何よりも嬉しい誕生日プレゼントだったろう。

 EUの結束に成功した同首相は、夏休み明けから英国との交渉の先頭に立つ。
 

西川恵
毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員を経て、2014年から客員編集委員。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。著書に『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮新書)、『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『ワインと外交』(新潮新書)、『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。

Foresight 2020年8月6日掲載

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