安倍「嘔吐説」岸田「低空飛行」で囁かれる「菅ワンポイント登板」 深層レポート 日本の政治(212)

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「ポスト安倍」をめぐる自民党内の構図が変わりつつある。

 安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相は、これまで岸田文雄政調会長を意中の候補としてきたが、いつまで経っても求心力が上がらない状況にしびれを切らし、別の選択肢を探り出したのだ。

 首相は体調に不安を抱え、続投は困難と見られる。そこで後継にはここにきて菅義偉官房長官の名が急浮上しており、首相は菅氏が肝いりで進める観光支援策「Go To トラベル」で共闘するなど、不仲だった関係の修復を急いでいる。

「岸田がこの調子だと……」

「平時なら『岸田首相』でいい。しかし、新型コロナウイルスの問題で政権の求心力が落ちている今は、岸田がこの調子だととても任せられない……」

 麻生氏は7月下旬、2人きりで面会した麻生派の側近に、ポスト安倍の行方を神妙な面持ちでこう漏らした。

 この側近は、麻生氏から今春まで、

「岸田派は動きが鈍いから、お前が他派の議員と接触を増やせ」

 と票固めのような指示を受けてきた。それと逆行するような一言に、

「明らかに首相レースの風向きが変わった」

 と感じたという。

 これまで麻生氏は、秋に衆院を解散し、遅くとも10月までに総選挙を行うべきだと首相に繰り返し説いてきた。首相の神通力が残るうちに総選挙に臨めば、与党は議席を減らしても野党に政権を奪われるような大敗は避けられるという見立てからだ。

 さらに選挙を経て、首相が強い求心力を保ったまま岸田氏への禅譲を表明し、総裁選に突入すれば、政敵の石破茂元幹事長に政権が渡ることを防ぐことができる。

 これが麻生氏の描いたシナリオだった。

 しかし、肝心の岸田氏は首相らの期待を裏切り、低空飛行を続けるばかりだ。

 岸田氏は2020年度第1次補正予算の編成過程で、国民への現金給付をめぐり、与党の政策責任者として当初は全国民への一律給付を提案したが、財務省の反対を受け、生活困窮世帯に30万円を配る方針へと転換した。しかし、閣議決定までした後に、二階俊博幹事長と公明党が猛反発し、首相は全国民1人当たり一律10万円給付へと政策を変えた。

 これで岸田氏の政治家としての信頼度が大きく傷ついた。

 首相と麻生氏は挽回の機会を与えるため、2次補正の編成で、岸田氏がこだわった中小亊業者への家賃補助の実現に奔走した。財務省や菅氏は、すでに最大200万円を配る「持続化給付金」制度があるとして反対したが、麻生氏は「岸田のためにやらなければ」と省内を説得。首相も積極的に制度設計に携わり、1事業者あたり最大600万円を給付する体制を整えた。

 ただ、これだけやっても「次期首相候補」を聞いた各社の世論調査では、岸田氏の支持率は6月段階で軒並み1~3%程度しかなかった。15%前後を誇る石破氏どころか、5%前後の河野太郎防衛相にも及ばない。

 岸田派幹部は、

「自己主張を抑え、調整型に徹するのが岸田氏の魅力」

 と訴える。

 しかし、自民党幹部は、

「政策責任者でありながら、具体的な調整は岸田派の木原誠二政調副会長らに丸投げする傾向がある。『首相になったらこれをやりたい』とこだわるような政策も見当たらない」

 と手厳しく批判する。

聞こえなくなった「岸田幹事長」案

 来年10月に衆院議員の任期満了を控え、次の衆院選が確実に近づく中、岸田派内ですら、

「岸田氏では『選挙の顔』を期待できない」

 との声が目立つようになった。

 首相も6月になって周囲に、

「岸田はもっと動かないと厳しい。党がついてこない」

 とこぼし始めたという。

 首相はこれまで、岸田氏に首相候補としての経験を積ませるため、秋の内閣改造・党役員人事で幹事長に抜擢する案を検討してきた。具体的には、続投に意欲をみせる二階氏が幹事長として在職最長記録を樹立する9月8日以降に人事を断行し、岸田氏を幹事長に、二階氏を党副総裁にそれぞれスライドさせる計画だったという。

 しかし、7月中旬以降、首相周辺からこうした声は聞こえなくなった。現在噂されているのは、人事を必要最小限にとどめる小幅改造だ。

「このままでいけば、二階と岸田はそのまま留任。菅も代えないだろう。二階の首を切らないのなら、人事を9月8日まで待つ必要もなくなる。閣僚として野党の標的になってきた数人を入れ替えるだけに終わるだろう」

 首相に近い自民党の閣僚経験者は、今の官邸の空気感をこう語る。

 安倍政権は新型コロナ対策をめぐり、全世帯への布マスク配布などで世論の強い反発を浴びた。内閣支持率が5割台にあった昨年程度の勢いがあれば、首相の鶴の一声で「岸田首相」を強引に誕生させることもできたかもしれないが、支持率が3割前後を低空飛行する現状では、そこまでの体力もなくなった。

流れた首相の「嘔吐」「吐血」情報

「ポスト安倍」で岸田氏というカードが消えた場合、かねて代替案として指摘されていたのが、安倍首相の続投だ。

 首相は来年9月末に党則の上限となる連続3期目の任期満了を迎えるが、衆院選で勝利した後に連続4選を打ち出し、党則変更するというプランも根強くささやかれてきた。

 二階氏が公然と訴えたことがあるほか、麻生氏も側近に、「岸田がダメなら、安倍の4選でいくべきだ」とこぼしたことがあるという。

 首相が続投すれば、岸田氏が捲土重来を期すための時間を稼ぐこともでき、麻生氏にとってのメリットも大きい。

 特に麻生氏は、かねて岸田氏に麻生・岸田両派が合流する「大宏池会構想」を持ちかけており、「岸田首相」下で巨大派閥を誕生させる可能性を残したままなら、麻生氏の求心力も温存できるとの計算も立つのだ。

 首相も一時期は続投に意欲をみせたというが、最近はこの選択肢も俎上にのぼることが少なくなった。背景にあるのが、最近座視できなくなったという首相の健康問題だ。

 各社が報じた7月6日(月曜日)の首相の動静を見ると、午前11時14分までに官邸で小池百合子東京都知事と新型コロナ問題を協議した後、午後4時34分に3人の官房副長官らと九州豪雨対策を話し合う会議に臨むまで、5時間以上の空白がある。平日の昼間なら、首相は分刻みでスケジュールをこなすのが日常だけに、これだけ前後の日程が空くのは極めて珍しい。

「首相が体調を崩した」

 ある官邸関係者は、こう重い口を開く。首相は自民党幹部らとの夜会合を精力的にこなし、肉を食べアルコールを口にすることもあるというが、この関係者は、

「疲れがたまっているのか、最近日中に嘔吐したこともある」

 と打ち明ける。

 首相はもともと、潰瘍性大腸炎という難病を抱えているが、2012年の第2次政権発足以降は、新たに開発された治療薬「アサコール」が効き、業務に支障がないとされてきた。

 しかし、新型コロナの患者が国内で初確認された1月以降は、土日もつぶして対策の陣頭指揮を執ることが増え、身体に重い負担がかかり続けた。

 首相が終日、自宅で休みを取ることができたのは6月21日になってからで、連続出勤は1月26日以来、実に148日に及んだ。

 永田町には「吐血した」という情報まで流れた。官邸関係者は「そこまでの事態に至っていない」と否定するものの、

「疲れがたまりすぎていて、身体が思うように動かないというのが事実だ」

と明かす。

 6月上旬ごろまでは、首相も周囲に続投の意欲を見せることもあったが、最近は「連続4選は考えていない。身体が持たない」とはっきり語るようになったという。

菅氏との関係修復に舵を切った

 岸田氏も首相も駄目だとなればどうなるか。

 首相と麻生氏に一貫する基本路線は、安倍政権に非協力的な姿勢を貫いてきた石破氏に政権を渡さないために、ありとあらゆる手段を尽くすということだ。

 そこで登場するのが菅氏である。

 昨年、新元号を発表し「令和おじさん」として人気を博したことは記憶に新しい。

 ただ首相の周囲では昨年来、昨夏の参院選で菅氏の存在感が目立ちすぎたことを警戒する向きもあった。今井尚哉首相補佐官ら最側近は菅氏の野心を疑い、新型コロナ対策でも、学校の一斉休校や布マスク配布など重要政策を決める際に、菅氏を意思決定の場から外すことも目立っていた。

 ところが6月以降、今井氏らは菅氏との関係修復に急に舵を切ったという。

「首相は6月19日夜、菅氏と麻生氏、甘利氏を交えた『3A+S』の会合を久々に開いたが、予約や出席者の日程調整など、すべて手配したのは今井氏だ。会食を終えた後、今井氏は『これで4人が一致結束できる体制が戻った』と喜んでいた」

 関係者は当時の経緯をこう振り返る。首相も会食翌日のインターネット番組で菅氏との関係について、

「すきま風が吹いているのではないかと言われるが、実際そんなことはない」

 と胸を張り、

「そういうことを言われると、ある種の空気が漂う危険性がある。そういう意味でも、実際に話をするのが、政治の場では大切だ」

 と語ってみせた。

 最近は、政府が新型コロナの感染防止策を発表する場面でも、これまでの西村康稔経済再生担当相だけでなく、菅氏が前面に立つ機会が増え始めている。政策決定過程に菅氏を加えるシステムが戻りつつあるのだ。

 厚生労働省幹部は、

「今井氏や長谷川栄一首相補佐官ら経産省出身の官僚が首相を囲い込むことが減ったと感じる。菅さんはしっかり霞が関と調整するので、官邸から思い付きのような指示が少なくなり、役所にとっても好ましい」

 と喜ぶ。

「Go To」で菅氏の訴えを丸飲み

 そんな首相と菅氏の関係修復を象徴したのが、「Go To トラベル」の前倒し実施だ。

 国土交通省の主管ではあるが、観光を内需喚起の起爆剤と位置づけてきた菅氏が実質的に主導している。

 この事業をめぐっては、7月以降、首都圏や近畿などを中心に感染が再拡大している実態を踏まえ、主要野党や自民党内からも延期や中止を求める声があった。

 しかし菅氏は、

「3密を回避して感染防止策を徹底しながら、経済を回すことは大切だ」

 と訴え、逆に8月1日を想定した開始時期を7月22日に前倒した。

 菅氏は周囲に、

「仮に1年間自粛生活を続けても、ウイルスが消滅することはない。共存が不可避である以上、感染対策をしながら経済を回さなければ、コロナの死者より経済的な自死の方が増える」

 と指摘。

「旅行そのもので感染の危険が極端に増えるというわけではない。リスクは近くのレストランでランチをとるときも同じようにある。旅先で大宴会を開かず、マスク着用や手洗いの徹底などを行えば、不必要に恐れる必要はない」

とも語っている。

 今回、「Go To」は感染者が増える東京が発着地であったり、申請者が東京都民であったりするケースを除外した。

 関係者によると、首相や西村氏は当初、東京への通勤者が多く、感染も広がりをみせる千葉、神奈川、埼玉の周辺3県も適用外とすることを検討したという。

 しかし、菅氏は千葉県の森田健作、神奈川県の黒岩祐治の両知事と事前に電話会談し、どちらからも「除外に反対」という申し出を受けた。結果、菅氏は除外を東京だけにするよう首相に進言したという。

 注目すべきなのは、首相がこの訴えを丸飲みしたことだ。

 官邸関係者は、

「首相は批判を百も承知で、菅氏にすべて任せている」

 と明かす。

 二階氏の反発を受け、岸田氏がまとめた30万円の一部給付をひっくり返したときとは打って変わるような共闘関係が垣間見える。

岸田陣営にわき立つ恨みみ

 次の衆院選は、新型コロナの感染拡大を受け「とても秋に行える状況ではない」(閣僚経験者)というのが大方の見方になりつつある。ある派閥領袖は、首相と菅氏らの動きも見据えながら、政局の今後をこう分析する。

「衆院選は来年まで持ち越しとせざるを得ない以上、『ポスト安倍』はワンポイントで菅氏に任せようというのが、首相や麻生氏がたどりついた結論ではないか。その後により若い世代への代替わりをしてもいい」

 こうなると、岸田氏は安倍首相からの禅譲路線以外の道を探し出さない限り、首相の座は永遠に回ってこないということになる。

 岸田派幹部は、

「菅氏が総裁選に出たとしても、岸田は次に必ず出馬する」

 と断言する。

 岸田陣営にわき立つ恨みみが化学反応を起こす可能性があるほか、総裁選には、自民党支持層からの支持も増えてきた石破氏も出馬する。

 来年に向け、自民党で久々となる大がかりな権力争いが起きるのは間違いない。

Foresight 2020年8月5日掲載

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