10年前の片寄涼太に「青い果実」を見た作詞家の告白
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡2
GENERATIONS from EXILE TRIBEの片寄涼太から、「お兄さん」「師匠」と敬愛される作詞家・小竹正人。「往復書簡」が始まる舞台裏と、10年前の片寄との出会いを振り返る。
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紹介に与かりました小竹正人です。
初めましての皆様に簡単な自己紹介をさせていただきます。
私は、新潟で中学生までを過ごし、東京の高校に進み、卒業後にカリフォルニアの大学に留学し、留学中に知り合った音楽業界の方に日本語の歌詞の英訳を頼まれたのをきっかけに、全編英語の歌詞、やがて英語交じりの日本語の歌詞を書くようになり、八年間のアメリカ生活を終え帰国してからもずっと作詞家を生業とし、現在は片寄涼太と同じ事務所に所属しています。
作詞家になって気がつけば約30年、英語力がすっかり衰えた現在は、主に日本語で、よく言えば“せつない″、悪く言えば“陰鬱な″歌詞ばかり書いています。大勢の人気アーティストに作詞させていただいてきたので、こんな私にもファンレターが結構な数届くのですが、「あの歌詞で泣きました」「共感しました」の一方で「あなたの歌詞をずっと聴いていると病んできます」という感想が少なからずあります(メンヘラ?)。これはひとえに私がどうしようもない恋愛ばかりを繰り返してきた賜物だと思っております。
そんな私、昨年の夏(そう、コロナ禍などという言葉をまだ聞いたこともなかったほんの一年前)、ひょんなことから週刊新潮の編集者と知り合って、ああだこうだと話すように。「昨今の音楽業界を斬る!」的な連載を提案されたりもしましたが、如何せん私は周りが思うほど音楽を聴いていないし精通もしていない。
そこで「誰かと往復書簡をやりたい」とおねだりしてみた。かねて私は「大SNS時代」に辟易してきたから。便利ですよ、でも怖いんですよ。ひっきりなしにやってくるLINEや読むのが追いつけない速度と量で流れてくる信憑性のないニュース。見えない何者かに支配されているような心持に多々なる。
そういうこともあって、誰かとじっくり手紙のやり取りのようなことをしたくなっちゃった。そんな折も折、新型コロナウイルスが襲ってきて、近しい人にすら気軽に会えない状況ができたことも、文通の体で文字のやり取りをしたくなった理由かもしれない。いずれにせよ、面白がってもらえたら……。
往復書簡を始めるにあたり、メッセージを交換する相手としてすぐに、片寄涼太の顔が浮かびました。彼を選んだ理由は追々この連載で書き綴るとして、出会って10年、いつの間にか我々はお互いの心の奥の方で意見交換ができるようになっています。それが彼の言う“丸裸″ってことなのだと思います。
SNSなどでの自己発信を一切やっていない私は、書く歌詞とは大きく異なる自分自身の言葉(おそらく毒と自虐が多め)について、この連載で明け透けに吐露することを、怖気づきながらも楽しみにしています。
さて、涼太。2010年、あのオーディションでの君を見て、「一人だけ青い果実みたいな少年がいるな」と思っていました。薄情ながら、HIROさんに紹介してもらった初対面の食事会のことは全く覚えていません(歳をとるとものすごく忘れっぽくなるんだよ)。
ただし、私のかなり近しい友人であるYOU(オーディションの様子を流す「週刊EXILE」という番組のMCをやっていた)が、「片寄君、可愛いくて泣ける」と言っていて、しばらくは“YOUが推す片寄涼太″として私の中で頭角を現していました。これから始まる往復書簡、君の被っている猫がどんどん剥がれますように。ニャー。
P.S.
君に勧めてもらった「愛の不時着」「梨泰院クラス」などは、韓国ドラマウォッチャー金メダリスト並みのスピードでとっくに完走いたしました。こんなこと現実にあるわけないよと思いながらも嗚咽を漏らしてしまうこの感じ。まさしく「沼落ち」。15年ほど前にもどっぷり韓流ドラマにハマった時期があり、私にとっては第二次韓国ドラマブームの幕開けとなりました。
小竹正人
敬具