堂本剛が自宅からのラジオ番組で泣く2カ月…世界が痛むと、堂本剛の心も痛む

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退所組との架け橋という意味でも、“ジャニーズイズム”を絶やすことなく

 7月18日のTBS系列の大型音楽番組「音楽の日」では、ジャニー喜多川のよく被っていた帽子やジャケットなどを着用した堂本光一が故人に扮して、この「KANZAI BOYA」と「フラワー」の2曲を歌唱。

“堂本剛とジャニー喜多川の共演”にも見えるステージとなった。

 途中、ジャニー喜多川に扮した堂本光一が、司会の中居正広に「YOUはスケートボーイズ(※SMAPの前進となったグループ名)だよ!」や「中居も歌ってよ」とSMAP復活を熱望する層も嬉しいやりとりを披露。

 退所をした中居ともうまく“ジャニーズネタ”をやりとりできるのはSMAPのバックで踊ってきた2人であり、ジャニーズタレントとして積み重ねた長い時間があってこそ。きっと、退所後の長瀬智也とどこかで一緒になることがあっても、このようにうまくやってくれるのではないか、という期待もよぎる。退所組との架け橋という意味でも、“ジャニーズイズム”を絶やすことなく2人が継いでいってくれるのではないだろうか。

 そうなると、2人としてのコンビが続くことを願ってやまないが……この「音楽の日」のKinKi Kidsのパフォーマンス中、「フラワー」が「こんなにがんばってる君がいる」という歌詞になった瞬間、堂本剛が堂本光一のことを指さしたのである。

 もともとジャニー喜多川は堂本剛を褒めて伸ばし、堂本光一をはっぱをかけることで伸ばすなどした、タイプの違う2人ではある。だが、この瞬間、堂本剛の“相方”への愛を感じ、2人がジャニー喜多川にもらった“KinKi Kids”という名前を背負い続けてくれるのではないか、という予感がした。

 もちろん先のラジオの中で紡がれる言葉の中にも、希望の光はある。

 先の、最初の涙のきっかけとなった看護師からの「もう一度人生をやり直せるなら剛くんはどんな職業につきたいですか?」の質問に堂本剛はこう答えていた。

「大変だけど、こういう職業につけたらいいなって、今改めて思いました」と。

 多くの傷を越えてなお強い光を放つ今の堂本剛なら、もう一度KinKi Kidsとして生きることを選んでくれるのかもしれない。

霜田明寛(しもだ・あきひろ)
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3刷を突破。また「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ「IPPO」凖レギュラー。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月29日掲載

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