堂本剛が自宅からのラジオ番組で泣く2カ月…世界が痛むと、堂本剛の心も痛む

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「大丈夫かもと思ってても意外とそうじゃ無かったりすることも」

 もちろんそれは優しい悩みであると同時に、様々なところで“分断”が起きているこのコロナ禍の日本に対する、10年以上前から剛が語っている「なぜ、こうもひとつになりにくい世の中なんだ?」という苛立ちとも共存するものだろう。世界を真剣に自分ごととして考えるからこその愛と苛立ち。

 最初の涙の日である5月16日の放送では「こういう状況だからきっと変わるんだろうなとか色々思ってたけど(中略)世界って変わらないのかな」「人間の悲しいところをいっぱい見ているよう」と嘆いてもいた。

 翌月、6月6日には、自身が「(天災などの)世界的な問題の中での、思いやることとか与えること救うこと」の気持ちを持つことに対して、冷ややかな扱いを受けることに「いっぱい傷ついた」として、「人であることに悲しくなる瞬間もすごくある」と語った。

 もちろん、30年近くにおよぶジャニーズ事務所での活動期間の中で、その傷の痛みに溺れることなく、なんとか自らの力で、立ち続けてきたのが堂本剛でもある。それを拙著『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)では“繊細さという強さ”と表現した。

 逆説的な言い方にもなるが、堂本剛の表現が、繊細さによる心の揺れから生まれるものであるからこそ、心を掴む面があるのも事実である。

「一度死にたいと思った人間が、今、生きたいと思っているっていう、これを自分は体感したので、それを僕は音楽とか歌詞をとおして伝えたい」(『ココロのはなし』堂本剛 KADOKAWA)

 死を考えた人間が歌う生だからこそ、堂本剛の紡ぐ音楽は、言葉は力をもつ。それは強い光となって多くのファンの心を救ってきた。ただこの未曾有の状況は、長年かけて築き上げてきた、その強さすらも揺るがすものなのかもしれない。

「自分がね、あ、強くなれたかも大丈夫かもと思ってても意外とそうじゃ無かったりすることも多くて」(7月11日同ラジオ放送分)

 と、ファンとしては心底、不安になるような言葉も口にする。

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