米中対立激化で韓国「二股外交」の限界 国論分裂の先には「核武装」?
米韓の戦略的利益は相反する
――「米国側に戻ろう」との声がようやく出てきたのですね。
鈴置:ただ、そう考えるのは保守だけです。左派は今こそ、とばかりに米国離れに動いています。「米中間での板挟み」は離米のテコに使えるからです。
デイリー新潮「米中全面対決で朝鮮半島は『コップの中の嵐』に転落 日本の立場は」で指摘したように、ハンギョレは6月29日に「米韓同盟を打ちきれ」と主張する米国の専門家の寄稿を載せました。
7月15日には自社の記者が「米韓同盟廃棄」を示唆する記事を書きました。「[キル・ユンヒョンの新冷戦韓日戦] 「昔の良き時代」になぜ戻れないのか」(日本語版)です
この記事は日韓関係の悪化の原因を考察して「容易には戻らない」と結論付けました。が、「韓米関係も昔には戻らない」とも読める構造になっています。
・「昔の良き時代」は中国の浮上と北朝鮮の核開発という二つのショックとともに幕を閉じた。
・北朝鮮と中国を抑制しなければならないという「現状維持」戦略を固守してきた日本は、韓国の「現状変更」の試みに危うさを感じ、強い抵抗に出た。これがこの3年間進められた韓日対立の停滞だ。新冷戦が「ニューノーマル」(新たなバランス)を取り戻すまで、この対立は続くだろう。
・韓国と日本の戦略的利害はもはや一致しない。両国の対中・対北朝鮮観と東アジアの未来像に対する見解は大きく異なり、そのため互いに対する憎しみと不信を積み重ねる「構造的不和」に陥ってしまった。
「日本」を「米国」に置き換えても、この記事は完全に成立します。それどころか「米国」とした方がよりフィットします。中国との新冷戦を戦う主戦投手は米国なのですから。
勘のいい韓国人が読めば「韓国と米国の戦略的利害はもはや一致しない。韓米は互いに対する憎しみと不信を積み重ねる『構造的不和』に陥ってしまった――とハンギョレは言いたいのだな」と思うでしょう。
ハンギョレ記者は扇動屋だ
――なぜ、ハンギョレははっきりと「韓米同盟はもう終わりだ」と書かなかったのですか。
鈴置:逆効果だからでしょう。普通の韓国人は米国との同盟が必要だ、と考えている。ハンギョレが「韓米同盟は不要だ」と書けば、「左派が同盟を破壊しようとしている」との反発が高まるのは必至です。
そこで、まずは「日韓関係は終わった」とのムードを醸し出しておき、それを「米韓」にも広げていく作戦と思われます。この記事には、その狙いを伺わせる強引な記述があります。
・日米は、米国を媒介に別々に機能していた韓米同盟と日米同盟を一つの軸に結ぶ韓米日三角同盟の構築を試みた。
・この流れに歯止めをかけたのは、2016年末の韓国の民衆たちのろうそく集会だった。このまま韓米日三角同盟に引っ張られることに大きな不安を感じた韓国人たちは、2017年5月、文在寅(ムン・ジェイン)を大統領の座に押し上げた。
「ろうそく集会」は朴槿恵(パク・クネ)大統領周辺の不正に怒った人々による退陣運動でした。「韓米日三角同盟に引っ張られることに大きな不安を感じた韓国人の運動」とは初耳です。この記事の韓国語版にも、ある読者が次のように書き込んでいます。
・この文は明らかに作為的です。韓国の民衆が文在寅を大統領の座に押し上げた理由が「韓米日三角同盟への不安から」ですって?文在寅に票を投じたのは純粋に朴槿恵政権への不信からでしょ。
・かかしのような民衆に(こんなことを)売り込むのは、記者ではなく扇動屋のやることです。
ろうそく集会は韓国では「汎国民的な正義の戦いだった」と記憶されています。ハンギョレは韓米日三角同盟――ひいては韓米同盟が正義の汎国民運動によって、否定されたと権威付けしたいのです。
韓国民に「共通分母」なし
――米中対立が激化する中で始まった左右の全面対立。どちらが勝つのでしょうか。
鈴置:まだ、分かりません。国民を説得するにあたって、左右の言説共に弱点があるためです。保守の主張である「米国側に戻る」とは「中国を見限ろう」ということですから、それを聞いた普通の人はぎょっとします。中国はどんな報復をするか、分からない国だからです。
一方、左派の本音は「米中板挟みから脱するには、米国との同盟を打ち切るしかない」ということですから、やはり普通の人はぎょっとします。そこで双方ともに奥歯にモノが挟まった言い方をしているわけです。
韓国の左右対立は極めて激しい。意見が完全に異なる人々の双方を説得して国の針路を決めるには、強力なリーダーシップが必要です。しかし、そんな指導者が出るのは期待薄。チョン・ジェホ教授も基調演説でこう述べています。
・韓国人に問うた場合、国益という共通分母を見つけることができるのだろうか?これまでもなかったことを、今のように国論が両極化した状況で、国益をひとつに集約する作業をいったい誰ができるのだろうか?
結局、米国か中国かに、あるいは双方から「どちら側に立つのだ」と激しくこん棒で殴られるまで、小田原評定が続くと思います。
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