巨人、好調「パーラ」の陰で思い出す7人のハズレ外国人野手
「マント」を逆さにすると?
今年の日本プロ野球は新型コロナウイルス感染拡大に伴う特別ルールで試合が行われている。そのうちの一つが1軍の出場選手の登録人数だ。従来の29人から31人に、ベンチ入りの人数も25人から26人に拡大された。そして外国人枠は従来の出場4人以内は変わらなかったものの、登録は5人とこれも増えることとなったのだ。
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となると、各球団とも外国人選手の起用法が戦略上、かなり重要なポイントとなってくる。
中でも今年、セ・リーグ2連覇を狙う読売ジャイアンツは外国人助っ人を10人(育成選手含む)も抱えており、どの選手をどう起用するかが、まさに勝利へのカギとなる。
とはいえ、彼らが必ずしも活躍するとは限らない。特に読売は大枚をはたいて自前で獲得した選手はさっぱりということが少なくないからだ。
そこで今回は、まずは野手に絞って、1990年から昨年までの30年の間に読売が獲得したダメ外国人選手、ハズレ助っ人の歴史を検証したい。
90年以降に入団した外国人の中で、真っ先にその名が挙がるのが、96年に入団したジェフ・マントだ。
マントはメジャーでは年俸2000万円ほどの選手に過ぎなかった。しかし、球団フロントがその前年のボルチモア・オリオールズ時代に4打席連続ホームランを放つなど活躍したことを過大評価してしまい、なんと年俸は1億5000万円。大幅なアップで入団させた選手である。
台湾のイチロー
その実力は春季キャンプで絶賛され、当時の打撃コーチから「大きいのが期待できる。本塁打を70発は打つんじゃないか」と評価された。しかしオープン戦からまったく打てず、看板倒れに終わった。
ペナントレースが開幕しても、ヒットわずか3本、打率1割台と低迷し(最終的な成績はわずか10試合で打率1割1分1厘、0本塁打、1打点である)、シーズンが開幕して1ヵ月も経たない4月下旬に早々と解雇されてしまった。
当時の球団オーナーだった、あの渡邉恒雄氏が「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」という名言(迷言?)まで残したほどの伝説的助っ人となっている。
2人目は“○○の○○”とか“○○の再来”はては“○○2世”という枕詞をつけられて成功した選手は数少ないという典型的な例である。
96年のシーズン後、台湾球界からルイス・デロスサントスが入団した。台湾での3年間の通算打率は3割6分1厘をマークしていたことから、“台湾のイチロー”と言われた。しかも、“どこでも守れる”という野手として注目された。
ところが、台湾時代同様にサードをやらせたものの、守備範囲は狭いは、まともに捕球できないは……で、その守備力は“ザル以下”そのものであった。
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