大谷翔平「逆方向ホームラン」誕生の意外なきっかけ 恩師が回顧するリトル時代(小林信也)
翔平はそこを待っている
すると翔平は、指示されたとおり、左中間に打球を飛ばし始めた。
「レフト方向といっても、翔平のはただの流し打ちじゃない。反対方向にどうやって強い打球を打ち、どうやって飛ばすか。それをずっと試行錯誤して打っていましたね」
黙々と取り組む翔平を見て、浅利は内心ホッとすると同時に、半ば呆れた。
(普通の中学1年生にできる芸当じゃない……)
左中間に飛ぶ打球が、やがて楽々とフェンスを越えるようになった。
浅利は舌を巻いた。ボール代が心配で思わず叫んだ一言に、少年の秘められた才能が触発された。そのシーズン、翔平は岩手県リトルリーグの記録となる年間35本のホームランを打った。
「そのうち逆方向へのホームランが15本です」
その打法には思わぬ恩恵があった。
「翔平が打席に立つと、相手バッテリーは内角には投げてきません。ほとんど外角攻めです。引っ張り専門ならお手上げですが、翔平はそこを待っているから思うツボなんです」
安全策のつもりで投げた外角球を痛打されたら、バッテリーは手の打ちようがない。その懐の深さが打者・大谷の強みになっている。
[2/3ページ]