「麻薬と北朝鮮」レポート…それは政権維持の生命線だった

国際 韓国・北朝鮮

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 朝鮮労働党の宣伝扇動部の貿易技官として働いていた過去を持つイ・ジュソン氏は、1998年からヒロポン販売を担い、それで得た外貨を政権幹部に上納していた。経済が破綻しているにもかかわらず、北朝鮮が政権を維持できたのは、他ならぬ麻薬パワーだった。

 朝鮮労働党の宣伝扇動部の貿易技官として働いていた過去を持つイ・ジュソン氏は、1998年からヒロポン販売を担い、それで得た外貨を政権幹部に上納していた。経済が破綻しているにもかかわらず、北朝鮮が政権を維持できたのは、他ならぬ麻薬パワーだった。

子供の簡単なおもちゃひとつさえも作れない

 私は40年余り北朝鮮に暮らし、金王朝の偶像化のための洗脳教育、処刑など、恐怖政治の生き証人として筆舌に尽くしがたい体験を経てきた。2000年半ばから2006年初頭に脱北するまでは中朝貿易の仕事に従事。そして、北朝鮮の権力機関から強要されて麻薬販売を行った。扱っていたのは主にヒロポンで、顧客は中国の商人と北朝鮮の密輸業者であり、これらの麻薬販売で得た米ドルや中国元などの外貨を政権幹部に上納していた。

 経済が完全に破綻した北朝鮮が数十年以上もの間、どのように政権を維持できたのか。麻薬製造と米ドル札の偽造こそが政権維持の最も重要なカギであり、同時に必須条件だった。人間の頭脳では到底理解不能な国家の中で、政権の腐敗、背徳がどのように行われているかをお話ししよう。

 私がヒロポン販売に手を染めるきっかけとなったのは、1998年10月のある日、友人から話を持ち掛けられたことによる。私は同年2月より豆満江の中朝国境を自由に行き来する運び屋をやっていた。おかげで中国側の商人、貿易業者、会社経営者をはじめ、金を持っている中国人の知り合いはかなりいた。

 友人から1グラムが800中国元になると説明され、麻薬取引が金になることを知った。私が主に扱っていた麻薬は、北朝鮮ではピンドゥと呼ばれるヒロポンだった。1度に販売する量は数百グラムから数キログラム。私が脱北するまでに販売したヒロポンの量は数十キログラムに上る。

 経済が国富を象徴するのは世界の常識であり、国家運営と政治は予算なしに行うことができない。しかしながら、子供の簡単なおもちゃひとつ満足に作ることができない脆弱な経済状態の北朝鮮にあって、金王朝は女、金、放蕩と三大快楽に耽っている。

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