姑息な官僚が骨抜きにした期待外れ「骨太の方針」

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 「骨太の方針」が7月17日、閣議決定された。例年6月に閣議決定され、それから1年かけて、盛り込まれた政策を各省庁が実行する、いわば「霞が関の課題表」だ。正式には「経済財政運営と改革の基本方針」と言う。今年は新型コロナウイルス対策の2次補正などがあって取りまとめが1カ月遅れたが、ようやくまとまった。

できの悪い作文

 ところが、その内容は例年になく、中味のインパクトが薄く、できの悪い官僚の作文で終わっている。

 「危機の克服、そして新しい未来へ」という副題が付けられており、新型コロナ対策や今後の経済対策など、まさに「骨太の方針」が示されているかと思ったが、大いに期待外れに終わった。

 メディアの論評も散々で、『読売新聞』は社説で、「骨太方針決定 経済再生への決意が見えない」と酷評。『毎日新聞』は、「骨太方針と公共事業 展望欠いた予算獲得策だ」と批判した。『朝日新聞』社説に至っては、「骨太の方針、役割はどこに 省庁幹部『種切れ感がある』」と、骨太の方針そのものの意味を問うていた。

 新型コロナ対策や、それに伴って深刻化する経済の大収縮、加えて各地で起きている自然災害など、日本は今まさに、「国難」と言える状況に直面している。

 もちろん、政府は対症療法の政策を迅速に実行することが求められるが、そうした「目先の対応」は、中長期にわたる戦略をベースに行われることが重要だ。そのためにも今年の「骨太の方針」はなおさら重要だったと言える。

 しかし、新型コロナの蔓延以降、政府が右往左往していることを示すかのように、「骨太の方針」も具体策に欠ける。今年度何をやるか、数年かけて何を実現するかといった具体的な計画が見えてこないのだ。

あまりにも理念的で空疎

 「骨太の方針」が掲げた、それぞれのテーマを見てみよう。

 1章は「新型コロナウイルス感染症の下での危機克服と新しい未来に向けて」と題して総論を述べている。出だしでは、

 「我々は、時代の大きな転換点に直面しており、この数年で思い切った変革が実行できるかどうかが、日本の未来を左右する」

 と書いている。その志やよし、といったところだ。

 だが、現状分析の後に示された「今後目指す社会」については、あまりにも理念的で空疎なものに終わっている。「実現した社会を目指す」として掲げたのは、以下の3つだ。

○個人が輝き、誰もがどこでも豊かさを実感できる社会 
○誰ひとり取り残されることなく生きがいを感じることのできる包摂的な社会 
○国際社会から信用と尊敬を集め、不可欠とされる国 

 新型コロナが世界で猛威を振るう前でも通用する「当たり前」のことしか書かれていない。

 2章は 「国民の生命・生活・雇用・事業を守り抜く」として、新型コロナ対策が書かれている。

 大きな焦点だったPCR検査体制の拡充については、

 「症状の有無や感染リスクを踏まえ、基本的な考え方を整理し、戦略的に検査能力を拡充する」

 と、具体的な検査件数などには、まったく触れていない。

 「必要なときには速やかに検査が受けられるという安心感を与えられるレベルを確保するため、PCR検査と抗原検査との最適な組合せによる迅速かつ効率的な検査体制の構築」

 と書かれているに過ぎない。

 世界各国でPCR検査が積極的に行われ、感染状況の把握が急がれている中で、日本は大きく立ち遅れている。周囲で陽性が確認された人がいる場合でも、PCR検査がすぐに受けられないという声も聞く。「安心感を与えられるレベル」からは程遠いのが現実だ。

 5月に政府の有識者会議のメンバーに追加選任された小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹は、PCR検査の検査体制を拡充することが、最も有効な経済対策だと主張する。

 6月中旬に、独自に民間有志に声をかけ、「9月末までに1日当たり10万件、11月末までに1日当たり20万件の検査能力を確保する」ことなどを求める提言をまとめた。これには、榊原定征・前経団連会長など経済界の大物や、神津里季生・連合会長、神奈川や埼玉、愛知などの県知事ら100人以上が名を連ねた。しかし、こうした具体的な検査体制について、「骨太の方針」では一切無視している。

 「骨太の方針」に間に合わせようと、自民党行政改革推進本部が取りまとめた、感染症対策の「司令塔」の再整備についても、蔑ろにされている(7月10日『コロナ対策の司令塔「日本版CDC」創設を阻む岩盤「厚労省」の罪』参照)。

 「国立感染症研究所と国立国際医療研究センターの体制強化を図るとともに、一体的な取組を進めるための体制を構築する」

 とあるだけで、法改正や組織見直しには触れていない。

 最大の懸念事項である「雇用」についても、中長期を見据えた「骨太」の政策は盛り込まれていない。すでに政府が決定している雇用調整助成金や休業支援金などの「円滑な実行を通じ、雇用の維持に全力を尽くす」としているだけだ。

DXを主導できる人材がいない

 唯一踏み込んだと言えるのはデジタル化だ。

 3章の「『新たな日常』の実現」では、

 「デジタル化の遅れや課題を徹底して検証・分析し、この1年を集中改革期間として、改革を強化・加速するとともに、関係府省庁の政策の実施状況、社会への実装状況を進捗管理する」

 とした。1年間の課題として明記した数少ない目標と言える。

 背景には世の中の不満がある。1章の現状分析では、

 「今般の感染症対応策の実施を通じて、受給申請手続・支給作業の一部で遅れや混乱が生じるなど、特に行政分野でのデジタル化・オンライン化の遅れが明らかになった」

 とある。

 非常時に直面した今回、政府のデジタル化の遅れが、施策を後手後手にさせる大きな要因になったと、政府自体が認めたわけだ。

 その上で、これからの「1年を集中改革期間」としたのである。デジタル化に対応する働き方の改革や教育・医療のオンライン化、「書面・押印・対面主義からの脱却」などが具体的な課題に挙がっている。

 大手新聞なども今回の「骨太の方針」を報じた際に、政府部門のデジタル化に焦点を当てていた。それぐらい、他には取り上げるべきものが見当たらなかった、ということを示している。

 もっとも、政府のデジタル化、いわゆる「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」が進むかどうかは、非常に心もとない。

 DXを進めるには紙の文書を全てやめるなど業務を全面的に見直す必要がある。部分的なデジタル化をいくら進めても、DXにはつながらない。これは従来の仕事のやり方を否定することにもつながるので、既存の官僚組織に任せていては、改革は無理だ。

 もし業務改革を本気で行おうとするならば、政府のDXの責任者であるCDXO(最高DX責任者)に各省庁を上回る強い権限を持たせ、一気に進める必要がある。だが、DXを主導できる人材が霞が関にはいない。

 現在は内閣官房に民間から入った統括責任者がいるものの、霞が関の業務の流れを把握できず、改革を命じることも事実上できない。業務フローを変えれば、権限の所在を変えることになるので、既存の官僚機構からは猛烈な反発を食う。

 デジタル化を標榜しながら、この20年間、遅々として進まなかった原因はここにある。それを「1年の集中改革」で突破できるとは到底思えないのだ。

「能力の低下が著しい」

 冒頭の『朝日新聞』が報じていた官僚による「種切れ感」という発言は、「骨太の方針」を巡る霞が関の本音を示している。これだけ問題が山積しているのに、政策が「種切れ」だと言って恥じない幹部官僚が実際にいるのだ。

 新型コロナ対策で政策提言をした官僚OBでもある自民党の重鎮が、親しい仲間にこうこぼしていた、という。

 「最近の財務官僚は能力の低下が著しい。国をどういう方向に持っていくべきかといった構想力を持った人物がいなくなった」

 新型コロナで「大盤振る舞い」が続く財政支出だが、これが将来に大きな禍根を残すことは誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、中長期的な「出口戦略」すら、現役財務官僚は考えていないというのである。

 さらに、「骨太の方針」から意図的に「骨」を抜こうというムードが霞が関にあるのも事実だ。「骨太の方針」をまとめる「経済財政諮問会議」は、法律で権限が明記された、首相が議長を務める主要会議である。一般的な審議会として設置されている「未来投資会議」などとは格が違う。

 「骨太の方針」に盛り込まれ、閣議決定された政策について、霞が関の官僚は実現する責務を負うのだ。だから、目標数字や期限などを盛り込まれることを極端に嫌う。いつまでに実現せよ、と言われてできなければ担当課長らの評価に関わるからだ。

 そんな官僚たちの抵抗を突破してきたのが、民間人のメンバーから会議に出される「民間議員ペーパー」だった。

 各省庁が反対する政策でも、民間議員が会議に提出し、議長の首相が裁可を下せば、実現に向けて大きく動き出す。抵抗が激しい規制改革を実現してきた背景には、「民間議員ペーパー」が大きな役割を果たしてきたのだ。

 ところが、最近は、民間議員がペーパーを出す前に、官邸官僚が一言一句チェックするのが慣例になっているという。民間議員も、それが当たり前になって抵抗する人はいないらしい。「骨太の方針」から「とんがった政策」が消えたのは、そうした官僚たちの姑息な作戦もある。

 もちろん、そうした「官僚の作文」を許しているのも、安倍晋三首相のリーダーシップが目に見えて落ちていることが要因だ。

 安倍内閣の支持率が大きく低下する中で、首相の求心力が衰え、「ポスト安倍」ばかりが政界の関心事になっている。その中で、誰もリスクを負って「国難」への対応をしようとしていない。それこそが、本当の「国難」ではないか。
 

磯山友幸
1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。

Foresight 2020年7月22日掲載

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