3歳女児放置死、逮捕母も虐待被害 17年前の流血事件を児相元職員が語る
親の愛情を知らない
まだ児童虐待に対する意識の低かった17年前に、児相が県警と連携し、言い逃れに終始する親の元から少女を救い出したことは評価に値するだろう。
とはいえ、そうして幼い命を救われた少女が17年後、自らの子どもを死に追いやったことは、皮肉と呼ぶにはあまりにも痛ましい。
しかも、“悲劇の第一幕”から生還した彼女は、事件の陰を感じさせずに人生を謳歌していたはずだった。
前出の友人が続ける。
「私の知る沙希ちゃんはおおらかで社交的なクラスの人気者でした。インスタの裏アカを見れば分かるけど、子どものことも心の底から可愛がってた。だから、今回の事件を知って地元の友達はみんな驚いてます。でも、もしかすると、親の愛情を知らない複雑な家庭で育ったことが事件に影響したのかもしれない」
この“複雑な家庭”という言葉には、虐待以外に別の意味も含まれている。
宮崎県内にある父方の実家を訪ね、沙希容疑者の“祖父”に質したところ、
「以前に虐待があったのは認めるけど、それ以上は言えんって。息子はもう離婚しとるしね。沙希? あれは母親の連れ子やけん……。それに、ずいぶん前から施設に入っとるので私には分からん。結婚したことも知らんちゃから。高校を卒業して、東京に出て籍も抜いたと聞いとる。今回の事件て言われても、私には何も分からんよ」
酸鼻を極める虐待には、彼女が連れ子だったことが影響した可能性もある。
無論、いくら悲惨な幼少期を送ろうと、今回の事件が許されるものではない。虐待被害者の絶望を知る沙希容疑者は、しかし、新たな“悲劇”の生みの親となった。そして、“連鎖”を止めたのは、娘の死という最悪の結果だった。
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