Netflix「日本沈没2020」は日本ヘイトか、はたまた原作への冒涜か

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家族の目線で描いた被災アニメーションではあるが、心が折れたという視聴者も

 Netflixで7月9日より配信が始まったアニメーションシリーズ「日本沈没2020」。日本を貶める部分が散見され、それをヘイトと捉える者がいれば、原作との乖離から冒涜だと主張する声もあって……。作り手のことも知悉するライターによる分析と評論。

「DEVILMAN crybaby」で永井豪の原作漫画を大胆な視点で描いた湯浅政明監督が、小松左京の原作小説をどのような解釈で料理するのか。筆者も製作スタートのニュースを聞いて楽しみにしていたひとりだ。

 原作小説『日本沈没』は1973年に刊行され、同年に映画が公開。その後もテレビドラマ(1974年)、ラジオドラマ(1973年と1980年)、さらには2006年に映画がリメイクされるなど、様々なメディアで取り上げられてきたが、アニメーション化は今回が初めて。Netflixによる世界同時独占配信(中国を除く)ということで日本だけでなく世界からの注目を集めた。

 物語は、2020年の東京オリンピック後の世界から始まる。将来を嘱望される陸上選手の武藤歩はスタジアムで突然の大地震に襲われ、目の前で陸上部員たちの死を目の当たりにし、その場を逃げ出す。弟の剛は自宅でゲームをしている最中に、父・航一郎はスタジアムで作業中に、フィリピン人の母・マリは帰国便の飛行機で、それぞれ被災する。命からがら合流した4人の家族は東京が沈み始めていることを知り、安全な場所を求めて東京を離れることにするのだが……。

 これまでの映像化では、地質学者の田所博士と潜水艇操縦士の小野寺を中心に、特撮を駆使したスペクタクルな映像で描かれているのに対し、本作は武藤一家の目線で被災した人々を描く。田所博士や小野寺は名前で登場するものの、序盤のストーリーには絡んでいない。

 大地震による災害の大きさを伝える状況は序盤のみで、武藤家が行く先々で出会う人々との関係性が中心となる。出会った人々の中には突然の、あるいは無残な死を迎えるものも多く、ネットの意見を見ると「心が折れた」など、人の死を映像として描くことを受け入れらない人の書き込みが多く見受けられた。

 アニメでもグロさを感じるほどであるから、実写で描いたとしたらそれ以上のものとなるはずだ。実際の被災地では仏様になった遺体が転がっているのが現実であり、救援に駆り出された関係者の中には、今も心理カウンセラーの治療を受けている者もいると聞く。本作での死は事象にすぎず、現実はよりシビアだといえる。

 とはいえ、主人公の歩は人の死を受け入れられず、他人の死を乗り越えて前へ進もうとする家族に反発する。人として至極当然な反応だが、頭の中ではわかっていても、家族を愛しているからこそ、そのような態度を取る家族に反発することで、歩は自我を保とうとしているのだろう。

 序盤は被災した家族を描く正当な災難映画のように見えるが、主人公たちが琵琶湖のほとりと思われるシャンシティに到着する中盤あたりから物語は大きく転換する。温かい食事とベッドがあり、物資が豊富な共同生活は、一見災害とは無縁に見える。だが、シティを象徴する子供・大地を中心としたスピリチュアルなコミュニティの構造は宗教団体のようでもあり、迷える日本人のよりどころとなる宗教団体の存在の意味がオーバーラップして感じられた。

 沈みゆく日本の中で安全な場所を求めて移動するロードムービーの形態をとりつつも、人間の死とエゴが物語にメリハリをつけて終盤へ向かっていく。そして物語が進むにつれ「心が折れる」という書き込みに筆者も共感し始めていた。見ていて辛くなってしまうのだ。アニメーションという手法と、ありそうでありえないリアリティが、そうさせているのかもしれない。

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