「胃ろうだけはやらせたくない」 在宅介護をするライターの背中を押した経験──在宅で妻を介護するということ(第4回)
胃ろうだけは絶対にしないでくれ
在宅介護は一つのプロジェクトである。ケアマネ、医師、看護師、理学療法士、ホームヘルパーなどが、それこそ“ONE TEAM”となって介護者を支えることによって初めて、「在宅」は可能になる。近場に優秀な訪問対応のスタッフがいてくれて私はラッキーだったが、医師の確保にはそこそこ苦労した。
ケアマネから、他のスタッフはすんなり決まったのに医師だけ難航しているとの電話があった。訪問診療(正確には「居宅療養管理指導」)してくれる診療所がないわけではないが、「“経鼻経管栄養”となるとなかなかOKしてくれなくて。“胃ろう”ならまだいいらしいですが…」という。退院まで半月に迫っていて、一時は退院日を延ばそうかと思ったほどだ。
意識障害や嚥下障害などを起こし、口からものを食べられなくなった場合、鼻から胃までチューブを通じ、あるいは胃婁(いろう:お腹に穴をあけ直接胃までチューブをつなぐ)を設けて栄養剤を流しこむ。これを「経管栄養」といい、経鼻経管栄養は前者を指す。食事どきになると、点滴の要領で栄養剤パックを逆さに吊るし、チューブ経由でビタミンや栄養を胃に注入するのだ。
いやな予感がしていたが、理由を聞いて私は納得した。胃ろうという選択肢をハナから除外したツケがきたのだ。
緊急手術を終えた妻の意識が戻らず、当分は口からモノを食べられないと分かったとき、担当医師は私を個室に呼んで胃ろうの説明を始めた。しかし私はそれを遮り、医師も驚くキッパリした口調で「胃ろうだけは絶対にしないでください」と明言したのだった。というのは、父と母の苦い経験があったからである。
私の父は13年前に他界した。脳梗塞から寝たきりとなり、一言も言葉を発しないまま2年半ほど町の小さな病院に入院し、ミイラのように痩せこけて死んだ。命を長らえたのは胃ろうのおかげだった。
毎日きちんと体内に水分と栄養を供給していれば、肉体は生き続ける。しかし、ただ呼吸を続けているだけである。膝が拘縮を起こして毛布を持ち上げていた。
入院半年を過ぎると見舞いに行くのがつらくなった。時おり開く目が、「こんな状態でいつまで放っておくんだ。早く楽にしてくれ」と訴えているのが分かったからだ。
実は、経鼻経管栄養なんですが…
母は9年前に逝った。やはり最期はものが食べられなくなった。父の経験があるので、私は胃ろうだけは絶対つけまいと思った。ところが、胃ろうにしないと次の受け入れ先(介護老人保健施設、介護療養型病床など)がないという。当時は、医療的処置のなくなった老人の転院先を見つけるのは大変で、入れても3カ月間と期限を切られ、最後はサ高住(サービス付き高齢者住宅)に住まわせたこともあった。
しかたなく、私は胃ろうの設置を認めた。それから半年、父と同じように生ける屍となって母は逝った。私が三途の川を渡るとき、対岸に父母が迎えに来てくれたとしたら、まずはそのことを詫びなければならないと思っている。
そんないきさつもあって、妻は経鼻の経管栄養にした。病院や施設が嫌うということは、おそらく在宅でも歓迎されないだろうと踏んでいたのだが、その通りになってしまいちょっと焦った。
なぜ経鼻経管が敬遠されるのか──。第一に、胃ろうに比べ管理が難しいことだ。認知症の人などはチューブを引き抜いてしまうことがよくあり、栄養補給中に管が中途半端に抜けて内容物が気管に入ると、肺炎を起こすリスクがある。また、一度設置したら半年近く交換しないでいい胃ろうに比べ、経鼻経管は衛生のため頻繁にチューブを交換しなければならない。その分、時間と労力がかかるのである。
ケアマネさんが苦戦していたので、私も何件か近隣の医療機関や訪問看護ステーションに問い合わせてみた。しかし、電話の向こうの対応は同じだった。「経鼻経管なんてすが…」と告げると、一呼吸おいて、いきなり話はトーンダウンするのだった。
そんな日々が続いたので、ケアマネさんから医師が見つかったと連絡が入ったときは本当にうれしかった。同一医療法人内で訪問看護ステーションを運営しており、最終的に訪問看護も一緒にお願いすることができたのだ。「在宅」において、医師と看護師が密な連携をとれる環境にあることほど大事なことはない。しかもその医師は専門が神経内科で、脳の病気や精神疾患にも詳しいという。一般の内科医や循環器系の医師では、脳神経の病気に対して有効な処方ができるとは思えないからだ。
これで訪問看護、訪問入浴、訪問診療の3つのピースがすべて埋まった。医師には月2回(現在は月1回)来てもらうことにした。少々時間はかかったが、結果的に最良の在宅介護プロジェクトが結成され、「在宅」初体験の私たちを支えてくれることになった。
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