草創期の「ABEMA」はデタラメだった だから楽しかった
認知度アップに担ぎ出した芸人は…
《なぜ、「アベマ」などという意味がよく分からない名前にしたんだろう? と結構心の底から困っていました。2016年4月、AbemaTV(現在は「ABEMA」)が開局する前後くらいの話です》と振り返るのは、立ち上げに参画した鎮目博道氏。《今でこそ「アベマ」といえば「ああ、インターネット放送局だね」と分かってもらえる有名なサービスになりましたが、当然のことながら開局前後にはまったくの無名でした》という草創期のエピソードを綴ってもらった。
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とにかくどこへ行っても、誰も一度では理解してくれません。「サイバーエージェントとテレビ朝日が一緒にやっています」と説明すると、サイバーの「アメーバブログ」の印象に引っ張られて「アメバTV」と必ず間違えられます。「いや、そうではありません!」と言うと今度は「アメマTV」とか、間寛平さんみたいになってしまいます。正直、まあまあ面倒臭くて、関係者はみんなちょっと嫌だったと思います。
そしたらなんとサイバーエージェントの藤田晋社長がブログで「覚えにくい名前にして後悔している」といったようなことを書かれている、と知ってまたまた驚きました。なんじゃそりゃ! と思ったので、当時自分で立ち上げてプロデューサーをしていた「AbemaPrime」という番組の番宣を本当に間寛平さんにお願いしました。例のハゲづらをかぶって杖を持ったおじいさんの格好で、30秒間ひたすら、「チャチャマンボ」とか「アヘアヘアヘアヘ」とか「かいーの」とか、いろんなギャグをやってもらいながら、杖でスタジオのあちこちを叩いて暴れてもらい、最後に一言「ア~ベ~マ」と叫んでもらうのです。
番組のことには一切触れませんでしたし、そもそも「AbemaPrime」はニュース番組なのですが、なんの番組なのかさっぱり分からない謎の番宣でした。しかも、間寛平さんは別に「AbemaPrime」のレギュラー出演者ではなかったので、「それも申し訳ないから」と急遽、たまにご出演いただくことにしたという、なかなか本末転倒なことになりました。
今回、編集の方から「ABEMAが開局した頃の思い出話をいろいろ書いてください」というお話をいただいたわけですが、そう言われてみるとこんな感じに「自由に滅茶苦茶なことをやらせてもらった」という思い出しか浮かんできません。なにせ、当時はテレ朝社内でも「きっと失敗する」とか「変なことをやらされて可哀想」みたいなことを言われたこともありました。「ABEMAが成功する」と思っていた人はあまりいなかったのではないでしょうか。スタッフの人数も少なくて、アウェイな雰囲気の中で開局1年くらい前からの準備は結構大変でしたけれど、その半面、自由にいろんなことをやれたのはとても楽しかったです。
大変だったといえば、考えてもみてください、テレビ朝日という会社はそもそも地上波のひとつのチャンネルを放送するための会社ですから、社屋もそのサイズで建てられているわけです。そこにいきなり別のインターネット放送局を作ろう、となってもスペースもまったくありません。僕たちのスタッフルームは、物置だったんじゃないの? みたいな窓のないような場所とか、いろいろなところを転々とさせられましたし、なによりスタジオがないのです。それで急遽、六本木ヒルズのけやき坂に面した「umu」というテレビ朝日のイベントスペースの営業をやめて、Abemaのニュース用のスタジオに改装したわけです。
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