橋下徹も愛した早稲田の銭湯「松の湯」が7月末閉店…跡地は三菱地所マンションへ
1968年には2687軒を数えた東京都内の銭湯は、年々減り続け、2019年は520軒と半世紀で5分の1まで減少した。近年は毎年20~30軒ほどが店を畳んでおり、7月31日にはまた一軒、早稲田大学近くで70年の歴史を誇る「松の湯」が閉店する。かつて、元大阪府知事・橋下徹も彼女とともに通ったという老舗銭湯だ。店主・山崎康五郎さん(70)に話を聞いた。
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「父は女優の白川由美と交流がありました」
――閉店を決めた理由は?
私ももう70歳になりましたし、息子2人はサラリーマンで、銭湯を継ぐ意志はありません。このまま相続させると相続税が大変なので、身体が動くうちに手を打っておいたほうがいいと思ったんです。7月5日から店のなかに張り紙を貼りました。通行人に立ち止まってジロジロ見られるのも嫌なので、外には貼っていません。
――閉店後、この場所はどうなるんですか?
マンションにします。三菱地所さんに一度土地を売ってマンションを建ててもらい、その一部を買い戻す形になります。そうしないと、相続税がべらぼうな額になるんですよ。たぶん、なんとかレジデンスっていう名前になるんじゃないですかね。完成は3年後の予定です。
――山崎さんは二代目ですか?
ええ、そうです。先代の父親は大正2年(1913年)石川県生まれで、10歳ぐらいで東京に丁稚奉公に出てきたそうなんです。“口減らし”というもので、養いきれない子供は外に出したんです。女優の白川由美の家にも丁稚奉公に行っていたそうで、彼女がヨチヨチ歩きの小さい時に、手を引いて公園に連れて行ったなんて話を聞いていました。奉公を終えたあとも、結婚式に呼ばれたり年に1回ぐらい食事をしたりと、交流が続いていたそうです。
――白川由美さんは1936年生まれで、2016年に亡くなっていますね。手を引いて行ったということは、お父様が25歳ぐらいの時だったいうことでしょうか?
うーん、どうなんでしょう。丁稚奉公に行ったと聞いてますが、ちょっと計算が合いませんねえ(笑)。まあ家族の会話なんて、そこまで正確に何年何月にどうしたと聞いてるわけじゃないですからね。白川由美と交流があったのは、大人になってからだったのかもしれません。
――なるほど。お父様が銭湯を始められたきっかけは?
田舎の人の紹介だったそうです。銭湯の創業者の多くは富山・石川・新潟の北陸3県の出身なんです。その理由は、雪国出身で我慢強いからなんて言われていますね。
私の父は白川由美の父親からいろいろなことを教わったそうで、「土地は買うチャンスがあったら買っておけ」と言われていたそうです。それで、いくつかの銭湯でしばらく修行したあと、横浜で土地を買って3軒の銭湯を経営していました。ただ、その後白川由美の父親から「勝負するなら東京だよ」と言われ、東京の土地を買うことに決めたそうなんです。
――新宿区で土地を買うというのは、当時でも大変だったのでは?
銀行に行ってお金を借りようとしても、「横浜の土地じゃ担保にならない」と言われて断られたそうです。でも、この近くの東京三協信用金庫に行ったら、当時の店長がちょうど石川県出身だった。父と同郷ということで融資を受けることができ、この土地を買って「松の湯」を始めたそうです。それが1950年。私が生まれた年です。
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