「ジャニー喜多川」死去1年…堂本光一、山Pらの言葉と”YOU”の秘密
僕には20年後の顔が見えるんだよ
ジャニーズタレントになることを夢見て、事務所に大量に届く履歴書を、ジャニー喜多川は全てひとりで目を通し、選んでいたという。オーディションでも同様で、ジャニー自ら、会場で選考をする。
山下智久はジャニーが「僕には20年後の顔が見えるんだよ」と語っているのを聞いたことがあるといい(TBS『A-studio』2019年4月5日放送)、タレントたちの変化をみるとそれも頷けるのだが、残念ながら“どうやって20年後の顔が見えるのか”というメカニズムの部分はわからないままだ。
そして、ジャニー喜多川のお家芸のようになっていたのが“急な抜擢”だ。V6の岡田准一、Sexy Zoneのマリウス葉や松島聡がそうだったように、見つけてきて1年以内の少年を急にCDデビューさせたり、ジャニーズJr.内の中心ユニットに抜擢し、大きな舞台に上げる……ということは繰り返しおこなわれてきた。ジャニーズJr.の中では、ジャニーの感性でユニットを作ったり、メンバーを変更したり……ということは日常茶飯事だった。
ジャニーの死後は、新たにSnow ManとSixTONESという2組がデビューしたものの、彼らはジュニア歴の長い、10年選手が中心のユニット。ジャニーズJr.内でも大きなユニットの改変や、大抜擢はおこなわれていない。ある意味、“ジャニーさんが作ったままいじらずにおいてある”状況で、あえてその“アンタッチャブルな聖域”に触れていないようにも思える。これらを鑑みると、もしかしたらジャニーの感性や、人を見抜くテクニックは、他の誰にも真似できるものではないのではないか、という不安がよぎる。
ただ、ジャニーが人を選ぶときに発揮していたのは、あながち感性だけではないのかもしれない、と思うエピソードが一周忌を機に、明らかにされている。
ちゃんと名前で呼んでくださいます
ジャニーといえばタレントのことを「YOU(ユー)」と呼ぶことが広く知られており、それはタレントたちの間では「人の名前を間違えないようにする配慮」という解釈もあれば、「もしかしたら名前を覚えていないのではないか」という説も囁かされていた。どちらにしろ、名前ではなくYOUと呼ぶというエピソードが、“ジャニーが人をどう見ているのか”という大事な部分をよりブラックボックスの中にいれていたのは確かだろう。
だが、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けるなど、ジャニーとも親交の深かった山下達郎はこう証言している。
「YOUね、が有名ですけど、我々には絶対そういう言い方はしません。ちゃんと名前で呼んでくださいます」(TOKYO FM『山下達郎のサンデー・ソングブック』2020年7月5日)
少なくとも、事務所の外の仕事相手には、名前を覚えて、名前で呼んでいたようだ。では、タレントの名前に関してはどうだったのだろうか。
1980年、元・シブがき隊の薬丸裕英は、履歴書を送ったものの「ひとりで行くのが嫌だ」という友人がオーディションを受ける付き添いとして、ジャニー喜多川に初めて出会う。そこで「YOUもレッスン受けてみない?」と言われ、アイドル人生が始まることになる。結局、その友人はほどなくしてレッスンに来なくなり、デビューすることはできなかったという。(フジテレビ『TOKIOカケル』2020年7月8日)
そしてそれから約40年のときが経ち、薬丸が長女をジャニーズの舞台につれていき、挨拶をするとジャニー喜多川は、こう長女に告げた。
「YOUのお父さん、タレントとか、なりたくなかったんだよ、本当は。笑っちゃうでしょ。最初、カワサキくんって子がいて、本当はそのコがタレントになりたかったんだよ」
なんと、ジャニーは、過去にレッスンを受けただけの薬丸の友人の名前を覚えていたのである。もちろん、出会いではあるが、何千、何万といった少年たちを見てきたジャニーの人生からすれば、傍から見れば“すれ違った”と形容してもいいレベルの出会いである。
後日、驚いた薬丸が東山紀之にそのことを告げると、東山はこう言ったという。
「ジャニーさんって全部覚えているんだよ」
YOUと複数形にして一括りにしてごまかしているように見えて、本当はそのYOUは単数形で、出会ったひとりひとりのことを記憶している。
実はジャニー喜多川は、想像を絶する愛情をもって、真摯にひとりひとりの人と向き合ってきたのではないだろうか。
それは“人を見抜くテクニック”といった軽々しい言葉では呼べないものである。
「20年後が見える」の根底に、出会った人への愛情と真摯さがあるならば、それは彼に愛情を受けた“子どもたち”が引き継いでいけるものなのかもしれない。
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