「ジャニー喜多川」死去1年…堂本光一、山Pらの言葉と”YOU”の秘密
ジャニーズ事務所は、ディズニーのように
帝国を作り上げた男が逝き、その崩壊を予想する者は後を絶たなかった。しかし、この1年は、創設者の世界観を守り抜き、後世に残して行くための第1段階のはじまりだったと、『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著者、霜田明寛氏は読み解く。ジャニーズ所属タレントの言葉を交えながら、その哲学に迫る。
ジャニー喜多川が亡くなって、1年が経った。
2019年、7月。ジャニーズ事務所を創り上げた人物の突然の死に「ジャニーズ事務所崩壊の序章か?」と書き立てるメディアも多くあった。
だが、結論から言うと、ジャニー喜多川の死去から1年が経っても、ジャニーズ事務所及びジャニーズタレントの力は弱まっていない。
「じゃあ、ジャニー喜多川という人の存在意義はそう大きくなかったのか?」と考える人も多いかもしれないが、そうではない。むしろ、逆である。
ジャニー喜多川がいなくなっても、ジャニーズがジャニーズとして生き続けている。それが、真にジャニー喜多川の偉大な部分なのである。
そしてジャニー自身もそれを予言していた。以前「ポストジャニーは?」と聞かれ、こう答えている。
「ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」(AERA 1997年3月24日号)
真の素晴らしい組織は、創設者がいなくなってもまわるようにできている。
そしてその“素晴らしさ”は、ことエンターテインメント企業においては「いかに強固な世界観を持っているか」ということと同義なように思える。
ウォルト・ディズニーが亡くなって半世紀以上が経つが、彼の強固な世界観は、多くのクリエイターたちに引き継がれ、今でもテーマパークや作品の中に“ウォルト・ディズニーの世界”を見ることができる。ウォルトの死後もその世界観は薄まることなく、ブレずに生き続け、むしろ、世界中のテーマパークや、死後に作られた作品によって、人々との接点を増やし、より多くの影響を与え続けている。
ジャニー喜多川が残したその世界観は唯一無二のものである。ジャニー喜多川作・演出の舞台では「大人は子どもには戻れない」「ジャパン最高!」「戦争反対」といった強いメッセージ性、ライブではパレードのようにトロッコで会場内をまわったり、噴水の中で水着で踊ったりフライングをする少年たち……と、アートとエンターテインメントの融合と形容してもいい強固な世界観が構築されている。そもそもジャニーズ以前には、10代の少年が歌い踊るという文化さえなかったのだ。
きっと、ジャニーズ事務所は、ディズニーのようになっていくのではないか、と思っている。
(ここでは割愛するが、ジャニーズとディズニーは自らのキャラクター/タレントを思うがゆえに、著作権/肖像権に対する意識が高いことも共通している)
ジャニーさんだったらどう考えるかな?
そして、ジャニー喜多川死去からのこの1年は、その世界観を守り抜き、後世に残していくための第1段階のはじまりのときだった、と言っていいだろう。
ジャニーが亡くなったことで、タレントたちは“ジャニーズという世界”を守ることに意識的になっていった。
NEWSの小山慶一郎は、死の翌月にこう語っている。
「ジャニーさんがお亡くなりになって、もう一度、ジャニーズ事務所で活動させて頂いていることに、それぞれが向き合っている」(TOKYOFM『DearFriends』2019.8.30)
KinKi Kidsの堂本光一も死後半年のタイミングでこう語った。
「僕が常に考えているのは『ジャニーさんだったらどう考えるかな?』ということです」
それぞれが“ジャニーズ事務所のタレントである自覚”を強くし、自分の中に“ジャニー喜多川の判断基準”を設ける。“ジャニーズタレントであること”とは何なのか。ジャニー喜多川だったらどうするのか。もう本人には聞くことができないからこそ、自分の中のジャニーさんに問いかける。その思考の過程で、それぞれの“ジャニー度”は色濃くなっていく。
思考するだけではなく、実際に“ジャニー喜多川イズム”を後輩に伝えようという動きも加速している。
9月、ジャニー喜多川作・構成・演出で上演の準備を進めていた舞台『DREAM BOYS』に、KinKi Kidsの堂本光一が演技指導として参加。その後も、Hey! Say! JUMPのライブの演出を手がけるなど、舞台経験の多い光一は、演出面でも後輩指導に動きはじめた。
堂本剛は後輩のA.B.C-Zの舞台の楽曲として提供する「You…」、KinKi Kidsのシングル「KANZAIBOYA」と曲を作る形で、ジャニーへの想いを表現している。
また、山下智久がジャニーズJr.のユニット・美 少年の楽曲をプロデュースしたり、関ジャニ∞の横山裕と大倉忠義が関西ジャニーズJr.の育成をしたりと、それぞれのやり方で“ジャニーズイズム”を伝授。
大倉忠義や山下智久のような、一時は独立説を囁かれていたタレントたちもこの動きに連なっていることから、喪失によってより、ジャニーズへの想いが強まっていることを感じる。
山下智久は後輩をサポートする流れについてこう語っている。
「やっぱりみんな好きなんじゃないですか、ジャニーズが。これまで何十年もジャニー(喜多川)さんのやり方や作り方を体で感じながら、自分たちでも表現しながらやってきたわけじゃないですか。それを伝えるべき人がいなくなった今、培ってきた人たちが代わりに伝えていくっていうのは、まぁ…必然だよね。僕らはファミリーだから」(『TVガイドPerson』vol.89)
タレントという“子どもたち”の意思によって、より世界観を強固にしていくジャニーズ“ファミリー”。
ただ、ひとつだけ、懸念点が残る。それは“子どもの誕生の瞬間”という“聖域”の部分である。
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