消えた「9月入学」論争 グローバリズムに振り回される賛成派の浅はかさ
コロナ禍で急に盛り上がり、一気に萎んだのが「9月入学」の議論である。あの騒ぎは一体何だったのか。背景に透けて見える、浅はかな企み。
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「ショック・ドクトリン」という言葉がある。戦争や災害といった混乱状態のドサクサに紛れて、新自由主義的な“改革”を推し進めようとする手法だが、
「今回の『9月入学』を勧める声は、まさにその典型だったと思います」
と評するのは、九州大学大学院の施光恒(せてるひさ)教授である。
「これは、もともとカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが同名の書籍で示したもの。『賛成派』もコロナ禍に乗じてちゃっかりと進めようと思ったのでしょうが、逆に人々も外出自粛などで考える時間があった。冷静な判断が下された、と思います」
ごり押しされそうになっていた「9月入学」の声が止まったのは、現場からの反対意見が相次いだことが大きい。実際、コロナ禍で混乱の渦中にある教育現場に今、更なる課題を持ち込めば、より疲弊するのは目に見えている。
「大規模な変革をする際には、現場やさまざまな団体の声に真摯に耳を傾け、慎重に意見を集約しなければならない。『国家百年の計』と言われる教育についてなら尚更ですが、コロナ禍でそんなことはできるはずがない。政府は、これも短慮で失敗した昨年の英語入試改革の教訓を、何も生かしていなかった気がしますね」
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