黒人差別反対で「美白化粧品」販売中止 差別を助長する危険性も

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 高まる一方の、黒人差別糾弾運動。アメリカに端を発したそれは、世界中で燃え上がり、あらぬ方向に飛び火している。

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 映画「風と共に去りぬ」が一時、配信停止を発表するなど、黒人を扱った作品の取り扱いが大きな議論を呼んでいるが、他方、化粧品分野でも動きが出た。

 米「ジョンソン・アンド・ジョンソン」社が「美白化粧品」が差別的だった、と販売を中止したのに続き、仏「ロレアル」社も、自社商品から「美白」の言葉を排除することに。

 いずれも激しい抗議を受けたがゆえだが、方向性はともかく、ここまでいくと、次は歯のホワイトニングもまかりならん、となるのではないか、との話が冗談に聞こえなくなってくる。

「私は黒人の権利獲得運動には共鳴しています」

 と、評論家の呉智英氏は言う。

「しかし、歪んだ主張には賛成できません。美白化粧品の例にしても、黒人に“あなたは白くなりなさい”と勧めたり強制したりしたのならともかく、色白になりたいという日本人が、そうした製品を買う権利がなぜ取り上げられなければならないのでしょうか」

『ちびくろ・さんぼ』の例

 実際、日本には「おしろい」が昔からあった。「色の白いは七難隠す」なんてことわざも。

「それぞれの文化の美を基準にした価値観であり、黒人の肌が美しくないと言っているわけではない。化粧品会社もそんなことは十分にわかっているでしょうが、さりとて、“差別だ”と批判が来た場合、それが如何に理不尽なものであったとしても、企業イメージが下がるリスクを恐れ、“引く”選択肢を取ってしまう。事なかれ主義ということです」

 では、そもそも、声を上げている人は何が目的なのだろうか。

「“差別を受ける、虐げられた人々がいる”と問題を単純化させる。その上で、何もかも差別だと糾弾し、被害者、加害者の範囲を拡大させ、運動を広げていく。結局、“私は意識が高いから、最新のトレンドをこんなに理解しているんだ”とアピールしたいだけ。差別の孕む、複雑極まりない事情を理解しようという姿勢は見えません」

 つまり、声を上げること自体が目的。それを生業とする、「人権屋」というわけなのだ。

 今のところこうした過剰な動きは海の向こうに留まっているように見えるが、このまま「対岸の火事」で済むのかどうか。何しろ、日本にも『ちびくろ・さんぼ』の前例がある。

 1988年、大阪の一家が起こした「黒人差別をなくす会」はあの“トラがバターになる”名作を絶版に追い込んだ。カルピスの商標やダッコちゃん人形にも次々と抗議をし、追放させた。

「こうした前例が出来たため、以後は、黒人差別の実態を知らないまま、何でも差別だといちゃもんを付ける例も相次ぎました。その結果、メディアも自主規制をするようになり、黒人が描かれること自体、少なくなっていったのです」

 明らかに「ある」存在である黒人が「ない」ものにされる。これこそが究極の差別である。

「本質はますます覆い隠され、結果、人々の深層下の差別意識は実は拡大していってしまうのではないか」

 ローマ神話の「正義の女神」は、手に「天秤」をぶら下げている。特定の価値観に過度に依り、声高に訴える姿勢を疑う。そして、謙虚にバランスよく、物事の姿を見極めることこそが、ホントの正義の「見方」であり、「味方」と言えるのではないだろうか。

週刊新潮 2020年7月9日号掲載

特集「浅はかな『正義』」より

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