突如解散「コロナ専門家会議」メンバーが語る本音 批判を浴びた“前のめり”姿勢の理由
「少し出すぎた」
本誌は12人の構成員に取材依頼し、4人から回答を得ることができた。座長である国立感染症研究所の脇田隆字(たかじ)所長、東京大学医科学研究所公共政策研究分野の武藤香織教授の2名が文書での回答、東北大学大学院医学系研究科微生物分野の押谷仁教授、東邦大学医学部微生物・感染症学講座の舘田一博教授が、電話での回答であった。
まず、専門家会議の廃止とそれに代わる分科会設置を、西村大臣が唐突に発表した件だが、脇田座長は、
「私も尾身副座長と同様に驚いたのは、私たちの会見とほぼ同時に、大臣が会見されたことです」
としつつ、こう続ける。
「ただ、今回の提案のなかで、われわれは新たな専門家助言組織のあり方を提案しました。それを取り入れて、さまざまな領域の知を結集するかたちの会議体を検討していただきたい」
一方、武藤教授は、
「危機の初動では政府よりも専門家が前に出る必要性は残るので、政府にはそうした専門家の動きを封じないようにしてほしい。また専門家の側も、政府や産業界など異なる立場の利害関係者と粘り強く交渉できないと、務まらないと思います。ただ今回、感染症の専門家たちは、なにがあっても途中で放り出すことなく、どなたも辞任されなかったのはすばらしかった」
2人の回答にも若干の悔しさがにじむが、舘田教授の話に、さらなる本音が覗いていると言えようか。
「(西村大臣には)少し配慮がなかったところはあったと思います。専門家会議主導と見られているから、政府主導に戻していきたいという思いもあるのではないでしょうか」
「前のめり」になったことについては、どうか。
「感染拡大が目の前に迫り、危機感が高まるなか、一般市民にはそれが十分に共有されていないと感じた局面があったため、専門家会議から『見解』や『状況分析・提言』などを出し、さらに記者会見を重ね、情報発信を継続しました。このため専門家会議が、あたかも政策決定をしているかのようなイメージをもたれたり、自らそういうイメージを作ったりしてしまった」
というのが脇田座長の分析だ。初期の状況を武藤教授が振り返る。
「2月中旬ごろ、政府も社会も感染拡大への危機感が薄いなか、専門家の間では危機感が高まり、ストレスが溜まっているように見えた。それを見て、『見解』を出してはどうかと提案したところ、すぐに全員が賛同し、加藤勝信厚労相の後押しも得て出すことになりました。危機の初動では、先に気づいて政府に呼びかける専門家の役割は、必要だと思っています」
だが、それでは収まらなかったという。
「時間が限られるなか、政府が独立して発信したほうがよいことも、専門家会議の提言に含まれるようになり、専門家会議の会見では、そうした事項も一手に引き受けざるをえず、政府より先に市民に説明することもあった。いま思えば、“政府に提案する”と意識的に書き分けられればよかった。個人的には、こうした状況が続いたことに疑問があり、何度も問題提起しましたが、事態が切迫し、時間も限られていたため、力およばず流されてしまいました。また、提言が決定事項であるかのように報じられることも多く、結果的に、すべての政策を専門家会議が決めている、という誤解にもとづく批判を受けるようになったと考えています」
また舘田教授は、未知の感染症であるだけに、
「われわれ専門家の集まりは、政府より突っ込んだ議論ができるし、前のめりになりながら半歩先を提案する責任のなかで活動してきたと思います。結果、専門家会議が少し出すぎたと思われた人もいるかもしれないし、政府にも、自分たちが考えているのとは少し違うように映ったのではないか。それが専門家会議の廃止につながったのかな、という気がします」
役割分担がうまくできないまま、ここに至ってしまったということだろう。しかし、西村大臣は6月24日の会見で、「専門家会議の立場と政府の立場、関係は明らかだ」と、役割分担ができていたと受けとれる発言をしている。専門家会議では、どのように認識されていたのだろうか。
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