河井克行容疑者が首相補佐官時代、ホワイトハウスから“出禁”を食らったワケ

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“出禁”の理由

 朝日新聞が「米議会に幅広い人材を持つ」と紹介したように、河井容疑者は外交分野を得意としているようだ。

 法相辞任後の19年11月1日に配信された東洋経済オンラインの記事「法務相も辞任、止まらぬ安倍政権「辞任ドミノ」/閣僚連続辞任で政局の節目変わるきっかけに」(註:泉宏氏の署名記事)でも、《日米外交での首相の密使役も務めるなど、首相の懐刀としても活動してきた》と指摘された。

 ならば、外交関係者は河井容疑者のことをどう見ていたのだろうか。ある外務省関係者に取材を依頼すると、「何と言っても、ホワイトハウスを出入り禁止になった男ですよ」と、いきなり一刀両断する。

「首相補佐官として渡米、米政府高官と会談した際、内容を日本の記者団にあまりペラペラ喋るから、アメリカ側を『河井氏では機密保持に問題が生じる』と激怒させ、ホワイトハウスから事実上の出入り禁止を食っています。要するに国益より、自分のことをマスコミに書いてもらうことを優先してきた政治家です」

 時事通信の《協調性に欠ける》や、読売新聞の《目立ちたがり屋》という記述は、かなり正鵠を得ていたようなのだ。

 データベースで全国紙の報道を振り返ってみると、河井容疑者は2014年頃から、渡米してホワイトハウスの関係者などと会談を持ったという記事が目立つようになる。

 集団的自衛権の行使容認、親ロシア派の武装勢力によるマレーシア航空機撃墜事件、イスラム国による日本人人質の身代金要求問題――こうした大きな事案が発生すると、必ず河井容疑者がアメリカの高官と会談を持ち、意見交換を行った内容が新聞記事となっている。

 当時の河井容疑者は単なる自民党議員で、何の肩書もない。異例の露出と言っていいだろう。

 河井容疑者が「ふるさとづくり推進および文化外交」の首相補佐官に抜擢されたのは2015年10月。第3次安倍改造内閣においてだった。

 ここでデータベースを調べてみると、興味深いことが浮き彫りになった。首相補佐官としてもう1つの仕事である「ふるさとづくり推進」に関する報道が極めて少ないのだ。

 朝日、読売、毎日、産経、共同、時事、NHKの記事を『河井 首相 補佐官 外交』で検索すると324件がヒットする。だが、検索ワードを『河井 首相 補佐官 ふるさとづくり』に変えると、たったの8件しか出てこないのだ。どれだけ『外交を担当する首相補佐官』のイメージを重視していたか分かる。

法相でも“外交”に執着

 その上、8件の記事は就任を報じるものと、首相動静、そして退任の時という節目節目のものでしかない。具体的な活動内容を扱った記事は皆無なのだ。

「河井容疑者は、よほど“外交担当の首相補佐官”という肩書に執着があったようです。17年8月、自身のブログに『内閣総理大臣補佐官を退任いたしました』との記事を掲載しました。そして外交については《30回の海外出張で延べ44ヶ国を訪れました。行き先は多い順に、11回のワシントンD.C.、4回のフィリピンとケニア、3回の英国、2回の豪州、ドイツ、フランス、バチカン、そしてインド、ベトナム、シンガポール、ブータン、ハワイ、カナダ、イタリア、イラン、アラブ首長国連邦、エジプト、トルコ、エチオピア、ガーナ、モザンビーク、南アフリカ共和国へは1回づつ》と嬉々として羅列しています。一方の『ふるさと』についても同じように訪問地を列挙しましたが、《委員の皆さまと一緒に訪れた滋賀県長浜市、沖縄県久米島・伊是名島、北海道帯広市・大樹町、島根県隠岐》としか記しませんでした。明らかにテンションが違います」(同・記者)

 河井容疑者のブログは19年10月29日を最後に更新されていない。ちなみに法務大臣を辞任したのは同月の31日だ。

 現時点で最後の記事は「法務大臣就任以降、各国の要人が来訪しています」というタイトルで、本文では《“世界に広がる法務行政”を展開しています》と自画自賛していた。

週刊新潮WEB取材班

2020年7月8日掲載

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