青木功の「奇跡のショット」の裏側 コースキーパーの“雑”な仕事が演出(小林信也)

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「ハワイアン・オープンの取材に行って、何でもいいから原稿書いて」。えらく漠然とした指令を「Number」編集長から受けたのは1983年の2月だった。

 当時私は駆け出しの26歳。何でもいいと言われて、つまらない原稿を書く気もない。私は3日目のラウンド後、「宝」を求めてコースを歩いた。ワイキキから車で約15分のワイアラエ・カントリークラブ。最終日に備え18番ホールのカップを切る作業に遭遇した。ハーフパンツ姿のロコ(地元)の若者が、「だいたいこの辺でいいか」みたいな南国ノリでグイッと足に体重をかけ、丸い穴を掘った。...

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