「クソ老人!」とののしられた 50代でネット婚活を始めた男が出会った“結婚できない女”たち

  • ブックマーク

高級レストランを次々とリクエストされる

 次にマッチングしたのは、45歳で外資系のコンサルティング会社に勤めるレイコさん(仮名)。プロフィールに掲載されていた写真があまりにもきれいだったのでダメモトでメッセージを送ったら、レスポンスをくれたのだ。

「マッチング、ありがとうございます。とてもうれしいです! このサイトでメッセージを重ねて、できればお目にかかってお話したいです。よろしくお願いします」

 さっそくお礼のメッセージを送った。

 しかし、マッチングしたものの、レイコさんから連絡は来ない。翌日も、その翌日もレスポンスはなかった。

 レイコさんから連絡が来たのはメッセージを送ってから1週間後。マッチングしたことを忘れかけたころだった。

「レイコです。仕事が忙しくてなかなかご連絡できず、すみませんでした。いろいろお話できたらと思っています」

 ほっとした。そして、うれしかった。

「憶えていていただいてよかったです。よろしくお願いします」

 すぐにメッセージを返した。

「よかったら、一度お会いしませんか?」

 翌日またメッセージをもらい、また一人でパソコンの画面に向かいガッツポーズをした。

「ぜひ!」

 承諾の返事をした。しかし、すぐにレイコさんとは価値観が違うことがわかった。

「今週末、リッツのアジュールでお食事、いかがでしょう?」

 えっ、リッツのアジュール? レイコさんから提案された店がどこなのか、すぐにはわからなかった。あわててパソコンで検索すると、六本木にあるラグジュアリーホテル、リッツ・カールトン東京のなかのフレンチ・レストラン、アジュール フォーティファイブだった。初対面でリッツのフレンチ? どう対応していいか迷った。しかし、せこいプライドがじゃまをして、断れなかった。それに、会いたい気持ちのほうが勝った。

「わかりました。予約しますね。楽しみです」

 ああ、なんとバカなオレ……そう思いながらもリッツに電話をかける。すると、幸運にも満席だった。

「満席でした。残念です」

 レイコさんに連絡をする。「残念」はもちろん本心ではない。

「じゃあ、パーク ハイアットのニューヨーク グリルにしましょう」

 すぐにレイコさんは次の提案をしてきた。やはりラグジュアリーホテルである。

 それはつまり、僕にはさほど興味はないけれど、高価な食事をご馳走してくれるなら会ってあげてもいいわ、ということだろうか。あるいは、ラグジュアリークラスのレストランにしか入りたくないのだろうか。

 その希望も僕は断れず、新宿のパーク ハイアット 東京最上階のレストラン、ニューヨーク グリルに電話をかけた。すると、ここも満席。ほっとした。

 しかし、さらに提案があり、六本木のグランド ハイアット 東京のステーキハウス、オーク ドアで待ち合わせた。

 目の前でシャンパンのグラスを重ねフィレステーキを頬張るレイコさんは、45歳には見えなかった。実年齢を知らなければ、30代前半と言われても信じただろう。彼女の容姿に目がくらんだ僕は、何を言われても同意してしまう。彼女はどんどん饒舌になっていく。ああ、やっぱりバカなオレ……。ここでも、自分で自分にがっかりさせられる。

「私、婚活しなくても、男性との出会いはあるんです」

 自信たっぷりのレイコさん。

「そうでしょうね」

 ニコニコと同意する僕。

 食事中、彼女はときどき席を立つ。トイレにしては回数が多い。3回目の離席のとき、その目的がわかった。ルイ・ヴィトンのバッグから、ちらりと電子タバコがのぞいた。

「私のまわりの男性は既婚者がほとんどで。シングルもいるにはいるんですけれど、頭が悪い人ばかりなんです」

 レイコさんは、自分は頭がよく、まわりはバカ、というスタンスで話し続ける。

 彼女には婚歴はない。容姿に恵まれて、英語が話せて外資系企業で高給を得ていて、しかし45歳美形女性がシングルでいる理由がわかった。彼女との2時間半の食事代は、シャンパンやワインと合わせて5万円を超えた。勉強代と思うしかないだろう。

 レイコさんと同じ家で暮らすことを想像すると、ぞっとした。僕に意識の低い言動があったり、怠惰な一日を過ごしたりしたら、彼女は許さないだろう。

 ポリシーとしてシングルを貫いているケースは別として、僕も含め、年齢を重ねてもシングルなのは、シングルである理由がある場合が多い。年齢だったり、経済状況だったり、性格だったり、理由はさまざまだ。

 婚活サイトのスタート時点では、貴重な体験をさせてもらえた。しかし、1つの婚活ツールだけでは限界がある。より前向きに婚活を行うには、可能性を高めるには、結婚相談所や婚活パーティも活用するべきだと思った。(続く)

石神賢介(イシガミ・ケンスケ)
1962(昭和37)年生まれ。大学卒業後、雑誌・書籍の編集者を経てライターになる。人物ルポルタージュからスポーツ、音楽、文学まで幅広いジャンルを手がける。30代のときに一度結婚したが離婚。

2020年7月4日掲載

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。