沈黙すると「裏切り者」になる社会 脅かされる“非体制”(古市憲寿)
「体制」と「反体制」という言葉がある。権力側に付くか、それとも権力に楯突くかという区分だが、実際には「非体制」という人が多いと思う。
新型コロナウイルスに関する騒動を見ていても、政府を称賛する人や、とにかく批判を繰り返す人に比べれば、積極的には意見を口に出さない「非体制」層が多数派だったのではないか。
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最近、訳あってアジア太平洋戦争中に書かれた日記や証言を読んでいるのだが、戦時下であっても「非体制」派がいた。
1943年10月に明治神宮外苑競技場で有名な出陣学徒壮行会が開催された。兵員不足から、徴兵が免除されていた文系大学生らが戦地に送られることになったのだ。記録されている映像では、強い雨の降る中、悲壮感漂う若者たちが行進している。東条英機の無責任な訓示に対して、学生代表の江橋慎四郎は声を震わせ「生等もとより生還を期せず」「誓って皇恩の万一に報い奉り必ず各位の御期待に背かざらんとす」と応じた。
しかしこの学徒壮行会への参加は強制ではなかった。ある慶應大学の学生は「どうせ行っても東条首相の大したことない話を聞かされるだけ」と思って、友人と日劇ダンシングチームのレビューに出掛けたという。今でいうダンスショーだ。曰く、入隊したら「女の子なんて見られない」から「踊り子の生足を観に行った」(『学徒出陣とその戦後史』啓文社書房)。
もちろん彼も召集令状には従っているわけで、反体制とは言えない。しかし戦時下だからといって、誰もが根っからの愛国者というわけではなかったのだ。
僕自身、必ずしも意見を口に出すことが素晴らしいとは思わない。現実世界に転がっている問題は、簡単に「賛成」か「反対」、「A」か「B」を選べるほどシンプルではない。「賛成でもあるし反対でもある」という人がいてもいいし、「その問題は考えたくない」という意見も尊重されるべきだろう。ある人にとっては大問題でも、別の人にとってはどうでもいいこともある。
しかし最近では「非体制」の権利が脅かされつつある。何か大きな社会的問題が盛り上がっている時、沈黙する人もまた裏切り者である、と批判されることが増えた。たとえば黒人差別撤廃を訴える「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」運動において、アメリカ企業は積極的に声明を発表している。沈黙していることが問題への加担だと捉えられてしまうのである。
実際、出陣学徒壮行会をサボった若者も入隊後は空襲被害に遭ったり、数多くの仲間の死を目撃したりしている。確かに「非体制」は社会を変えないように見える。
ただし声を上げたからといって社会が変わるものでもない。怒りは人々を瞬間的に結びつけるが、その熱は冷却されるのも早い。そして運動が過激になるほど多数の「非体制」派は離れていくもの。
「誰の味方でもありません」という連載タイトルが不謹慎だと言われない時代が続いて欲しい。