読売新聞・橋本五郎が語る「なぜ人間は読書をしなくてはならないのか」
『ながい坂』山本周五郎
この2カ月余り、読書の方法は一変しました。それまではテレビ出演のための東京と大阪の往復や、地方での講演の行き帰りに乗る飛行機、新幹線、電車が書斎代わりでした。それが、ほとんどの時間を家で過ごすことになったのです。料理も動画配信も全くできない身では読書しかありません。よし、それでは三つのことをしようと決めました。
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一つ目は、ずっと疑問に思ってきたことを自分なりに徹底して調べようと思いました。唐に渡った空海は、なぜ中国僧にさえできなかった密教の伝授をわずか3カ月で認められたのか。専門家には既知のことかもしれませんが、上山春平『空海』(朝日選書)や西宮紘『釈伝空海』(上下、藤原書店)などを片っ端から読みました。天才・空海の背後には、己を厳しく律する心と想像を絶する絶え間ない「努力」がありました。
二つ目は、良質な本を書評で取り上げることです。一冊は君塚直隆『エリザベス女王』(中公新書)で、「君臨すれども統治せず」といわれる英国王が、実は積極的に現実政治に関わっているということを知りました。
さらに、三宅理一『安藤忠雄 建築を生きる』(みすず書房)は、安藤建築の真髄とは何かを教えてくれました。「建築は闘い」であり、安藤にとって建築とは「生きる」ことそのものであるということです。
三つ目は、困難に遭遇したとき、あるいは静謐な時間を求めたいときに決まって手にしてきた本に、また向かうことでした。山本周五郎の『ながい坂 』上 『ながい坂 』下(新潮文庫)がその作品です。
下級武士の子として生まれた阿部小三郎は8歳のとき、衝撃的な体験をします。父と一緒に釣りに行くときにいつも渡る小橋が、ある日、跡形もなく取り壊されていたのです。家老の息子の学問所がつくられ、人の通行が勉強の邪魔になるというのです。
城下に私有地などありません。道や橋は大地や山のように常にそこにあるものです。こんな理不尽が許されていいはずがない。小三郎は早く出世して、無道なことがまかり通らない世にしようと学問に武芸に励みます。すると、焦る小三郎を師の小出方正は諭します。
〈人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局は同じことになるんだ、(中略)それよりも一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ〉
小三郎は成長して、名を三浦主水正に改めます。その後も幾多の苦難に遭遇しますが、幼き日の体験を原点に、師の言葉を胸に刻みながら藩政改革に取り組みます。読むたびに「決して初心を忘れることなく、自らを律して生きなければならない」という思いが湧き上がります。
人間にとって、読書はなぜ大切なのでしょうか。近代日本の文芸評論を確立させた作家の小林秀雄は、次のように書いています。
〈書物の数だけ思想があり、思想の数だけ人間が居る〉(『読書について』中央公論新社)
そこには学ぶべき、さまざまな人間がいるからだと思うのです。